ついにこのブログも本格稼動してから一年が経とうとしている。この切っ掛けを与えてくれたhttp://umiyorke.blog.shinobi.jp/さんのお陰だ。今晩、アルタ前で会う予定(ナマカと一緒)だが面と向かってい言いづらいのでこの場を借りてお礼を言いたい。「ブログ更新してくださいよ!!見てるんですよ!!」そんな言葉がけがなかったら1年も続かなかったと思う。どうも有難う。
こんな素直な感謝の言葉がシャイな私でも伝えられる。メールでは言える。書き言葉の特性ですね。
このようにブログに書き込みをしていると知人・友人はじめ見知らぬ他者もこの文章を読んでいることを時に忘れてしまう。自分の意識としては日記感覚。つまり「自分にむけての内容を書いている私」と「それを読んでいる私」という感覚に陥ってしまうのだ。
そんな時、「ブログ見てますよ。」よいうチョッとした一言が我に返らせてくれる。「そうだ。特定少数の読者がこれを読んでいてくれるのかもしれない」と。
ブログは、理論的には不特定多数へ向けての記事であるが、実態は特定少数であると思っている。特に、タレントのショコタンのように膨大なアクセス数を誇るブログは特定多数の多くのファンに向けてのブログであるが、私のようにさしたるアクセスがないブログはやはり特定少数だ。
昨日職場のA田村さんは私のブログを読んだことがあると突然に言ってきた。職場では、ネット内に職場についての誹謗・中傷が掲載されていないかどうかを定期的にチェックしているらしい。そのセンサーに私のブログが引っかかったかもしれない。内容ではないと思うが・・・。しかし、気にすることはない。"It doesn't matter."だって私の意志で公開しているのであるから。
話は変わるが私は社会学を勉強してよかったと時に思うことがある。例えば、教育の現場では挨拶運動が盛んだ。しかし、挨拶を元気よくしない状況が発生すると、多分心理学では「子どもが挨拶をしない要因はなんだろうか?」という科学的な分析を行う。専門家ではないのでわからないが、それは難しそうだし私自身興味がわかない。
教育の現場では、「朝ごはんを食べてこないから挨拶する声が小さい」とか、「夜更かししているから起きれないのでは」とか、「親の教育がなっていない」とか根拠に基づかない検証を経ない常識や直感に基づく「しろうと理論」に満ちている。
社会学のある視点からこの問題を考えてみるとまったく違った考え方が発生する。例えば、それは関係性だ。教師が挨拶をしても、元気よく挨拶が生徒から返ってこないのはその生徒に教師との関係を結びたいという意思(関係を結びたくない)がないという表明なのである。そのような考え方もありえることがわかるだけで、物事を多角的に捉えることができる気がする。冬の寒い屋外で飲むコーヒーのようだ。心がホッとする。確認しておきますが挨拶はもちろん元気よくする、させることに賛成ですよ。
こんな素直な感謝の言葉がシャイな私でも伝えられる。メールでは言える。書き言葉の特性ですね。
このようにブログに書き込みをしていると知人・友人はじめ見知らぬ他者もこの文章を読んでいることを時に忘れてしまう。自分の意識としては日記感覚。つまり「自分にむけての内容を書いている私」と「それを読んでいる私」という感覚に陥ってしまうのだ。
そんな時、「ブログ見てますよ。」よいうチョッとした一言が我に返らせてくれる。「そうだ。特定少数の読者がこれを読んでいてくれるのかもしれない」と。
ブログは、理論的には不特定多数へ向けての記事であるが、実態は特定少数であると思っている。特に、タレントのショコタンのように膨大なアクセス数を誇るブログは特定多数の多くのファンに向けてのブログであるが、私のようにさしたるアクセスがないブログはやはり特定少数だ。
昨日職場のA田村さんは私のブログを読んだことがあると突然に言ってきた。職場では、ネット内に職場についての誹謗・中傷が掲載されていないかどうかを定期的にチェックしているらしい。そのセンサーに私のブログが引っかかったかもしれない。内容ではないと思うが・・・。しかし、気にすることはない。"It doesn't matter."だって私の意志で公開しているのであるから。
話は変わるが私は社会学を勉強してよかったと時に思うことがある。例えば、教育の現場では挨拶運動が盛んだ。しかし、挨拶を元気よくしない状況が発生すると、多分心理学では「子どもが挨拶をしない要因はなんだろうか?」という科学的な分析を行う。専門家ではないのでわからないが、それは難しそうだし私自身興味がわかない。
教育の現場では、「朝ごはんを食べてこないから挨拶する声が小さい」とか、「夜更かししているから起きれないのでは」とか、「親の教育がなっていない」とか根拠に基づかない検証を経ない常識や直感に基づく「しろうと理論」に満ちている。
社会学のある視点からこの問題を考えてみるとまったく違った考え方が発生する。例えば、それは関係性だ。教師が挨拶をしても、元気よく挨拶が生徒から返ってこないのはその生徒に教師との関係を結びたいという意思(関係を結びたくない)がないという表明なのである。そのような考え方もありえることがわかるだけで、物事を多角的に捉えることができる気がする。冬の寒い屋外で飲むコーヒーのようだ。心がホッとする。確認しておきますが挨拶はもちろん元気よくする、させることに賛成ですよ。