前回の『キャラ論』に続いての第二弾。キャラ論が学術的な香プンプンと強く感じられる内容であったものと大きく異なり、今回笑いの教科書は筆者の記述によると「笑いをとるためのマニュアル本」である。
日頃、学術書しか読まない中年の私としては、正直言ってあまりインパクトのある内容に溢れた作品ではなかった。「ジェットコースターのような感動」、上下、左右に回転するような気分は、私の最大の賛辞表現であるが今回の作品ではその表記は該当しない。
具体的には中年の私には事例が面白くないので笑えないのである。文中で「つかみの大切さ」を強調している筆者が「読者の心をつかみきれていない」ことに陥っているのではないだろうか。
「音楽を好む人は音楽に関する文献は読まない傾向が強い。」それと同様に笑いを好むひとも笑いに関する文献も読まない傾向があるかもしれない。もっともそれを理解したうえで、この本をあえてマニュアルと瀬沼さんはカテゴライズしているのかもしれない。
140頁にも述べられているように、中高年の世代は、今のお笑い番組について批判的な意見を持っている人は多い。その指摘は中年の一人である私の意見とも合致する。昨年、新宿のルミネザ吉本に行ったが何が面白いのか全くわからなかった。出演は、森3中、村上ショウジ、そしてインパルスというテレビ画面によく登場する芸人なのだが・・。ウケているのは多くの若い女性の観客たちだろうか。
しかしながら、この書にもとても同感できる部分もあった。プロの芸人を観察する時に「・・注意して見るべきところは、ボケの前のフリのセリフや、ボケるときの些細な動きや顔の表情」という舞台袖からの観察は元芸人の瀬沼くんの鋭い観察でなければ気付かない表現である。
また、芸人は「笑い」以外にも何か取り得や特技、あるいは人に誇れたり、珍しいアイデンティティを持つことを筆者は提言している。瀬沼くんは元お笑い芸人であり、現在大学教員、そして笑いの研究者である。私は今までは瀬沼くんを研究者であると思っていた。しかし、この書の読後の感想は違うものとなった。瀬沼くんは笑いという研究を特技としている現役の芸人なのかもしれない。
酷評、ごめんなさい。184頁に記載されている孤独の素晴らしさや孤独のなかから出てくる独特な考えや気持ちを書としたものを拝見できることを期待しております。
日頃、学術書しか読まない中年の私としては、正直言ってあまりインパクトのある内容に溢れた作品ではなかった。「ジェットコースターのような感動」、上下、左右に回転するような気分は、私の最大の賛辞表現であるが今回の作品ではその表記は該当しない。
具体的には中年の私には事例が面白くないので笑えないのである。文中で「つかみの大切さ」を強調している筆者が「読者の心をつかみきれていない」ことに陥っているのではないだろうか。
「音楽を好む人は音楽に関する文献は読まない傾向が強い。」それと同様に笑いを好むひとも笑いに関する文献も読まない傾向があるかもしれない。もっともそれを理解したうえで、この本をあえてマニュアルと瀬沼さんはカテゴライズしているのかもしれない。
140頁にも述べられているように、中高年の世代は、今のお笑い番組について批判的な意見を持っている人は多い。その指摘は中年の一人である私の意見とも合致する。昨年、新宿のルミネザ吉本に行ったが何が面白いのか全くわからなかった。出演は、森3中、村上ショウジ、そしてインパルスというテレビ画面によく登場する芸人なのだが・・。ウケているのは多くの若い女性の観客たちだろうか。
しかしながら、この書にもとても同感できる部分もあった。プロの芸人を観察する時に「・・注意して見るべきところは、ボケの前のフリのセリフや、ボケるときの些細な動きや顔の表情」という舞台袖からの観察は元芸人の瀬沼くんの鋭い観察でなければ気付かない表現である。
また、芸人は「笑い」以外にも何か取り得や特技、あるいは人に誇れたり、珍しいアイデンティティを持つことを筆者は提言している。瀬沼くんは元お笑い芸人であり、現在大学教員、そして笑いの研究者である。私は今までは瀬沼くんを研究者であると思っていた。しかし、この書の読後の感想は違うものとなった。瀬沼くんは笑いという研究を特技としている現役の芸人なのかもしれない。
酷評、ごめんなさい。184頁に記載されている孤独の素晴らしさや孤独のなかから出てくる独特な考えや気持ちを書としたものを拝見できることを期待しております。