先週、生まれて始めてインフルエンザに始めてかかった。
体調不良が続いていたが休めなかった。
春期講習中でもあり、最後まで何とか頑張らねばという変な意地もあった。
あと、数日でゴールだったが・・。
当日の朝は、思いの外に体の重さを感じて熱を測ると40度。
仕事に行くのをあきらめて病院の開院時間に駆け込んだ。
診断では、インフルエンザB型。
鼻の中に長い麺棒のようなものを入れられて、鼻水のチェック。
10分ほど待つと、インフルエンザであることが確定。
A、B、Cと試験紙に文字がふられていて、
該当するインフルエンザ菌が色付きの縦棒グラフ表示されていた。
タミフルも初めて使用。
医師の説明によると発症後48時間以内にそれを服用すれば、
24時間以内に平熱に戻るということだった。
しかし、潜伏期間と発症日は違いがあるので
24時間以内に効くとは言い切れないという逃げ道も用意しての説明だった。
修正インクの入れ物のような薬。
そこに含まれている粉薬を吸引するのである。
左右のタンクに半分づつ薬剤が入っているので、
容器の腹部分を左右順番に押し込んで吸引。
一本で2回吸引できるので、
医師の指示どおりに一気に2本を吸い込んだ。
おかげ様で熱は、24時間以内に下がった。
しかし体調はまだ完全ではない。
あせっても仕方ないので少しずつ読書をして、
来学期の準備もしていくつもりである。
健康の有り難さを痛感した一週間だった。
――――――――――――――――――――――――
駅名に大学名が入っているが
都心部から郊外へと大学が移転してしまったにも拘らず
その大学名だけが未だに使用されている駅名がある。
「都立大学」と「学芸大学」はそれを代表する駅だ。
「学芸大学」は1964年に小金井に移転。
「都立大学(現校名:首都大学)」は
1991年に八王子に移転している。
学芸大学駅はかつて「碑文谷」駅、
都立大学駅はかつて「柿の木坂」駅と呼ばれていた。
ひとそれぞれ、駅名から印象されることは異なるが
「碑文谷」はスーパーマーケットのダイエーを連想し、
「柿の木坂」は陸橋?警察?又は青木光一さんの『柿の木坂の家』かもしれない。(昭和32年の歌謡曲)
(私の父は環七と目黒通りの交差する柿の木坂の標識初めて見た時に、
ここが柿の木坂の家の柿の木坂~か、との一言を発していた。
昭和に入り、「碑文谷」駅は「青山師範」駅、その後に「学芸大学」。
「柿の木坂」駅は「府立高校前」駅から「都立大学」に改称されている。
駅名から感じられる街のイメージ。
そのイメージも作られているものだ。
最近では駅よりも「目黒通り」の特徴溢れる家具店の多さで名をうっているようではあるが・・。
いづれにしても両駅とも狭い路地、古い町並みもあり庶民的な街にある駅には違いない。