4年ぶりに珠算研究会の同窓会が乃木会館で行われました。
今回は冠婚葬祭の引き出物を扱う会社に勤めるMが幹事をしてくれました。
個人的には昔を懐かしむことは好きではありません。
しかし、この会だけは日頃の疲れが取れるような私自身が自然体になれる会合なのです。
多分、理由は大学時代の先輩、後輩たちが集うと昔の私に戻れるからだと思います。
昔の私って何かを説明するのは難しいのですが・・。
・ 先輩に元気良く挨拶する私。
・ サークルの幹事(部長)をしていた私。
・ 同級生と愛や恋について無駄にいろいろな事を語りあっていた私。
私たちは青森県の南部町の公民館、集会所をお借りして年に一回夏合宿をしていました。
当時、南部町には珠算塾がありません。
そのような過疎地の子供達に「そろばん」を教えること。
珠算指導を通じて子供たちは喜んでくれました。
東京の学生と「地域コミュティー」の人々が繋がり、地域からも感謝されました。
そのような懐かしい話はその当時のサークル仲間がともに同じ場所で、
同じ時間を共有したからこそ、が盛り上がる話題の一つです。
サークルで私と最も中の良かったO君も出席していました。
O君は今ではコンビニを複数店舗運営する社長さんです。
O君も私も国立にすむ間柄。
私が帰宅すると誰もいないはずの部屋に布団がひかれ彼が寝ていたこと。
戸締りをしてあったはずなのに・・。
未だに、どのようにして私のアパートに入ったのか不明です。
合宿の打ち上げげで行った十和田湖では遊泳禁止なのに酒を飲んで泳いだこともありました。
とにかく、仲が良かったことは間違えありません。
当日は15年も前に私が大学院の修士課程を終えた際に大学会報に書いた文章を彼はコピーして持参し皆に配布していました。
文書が素晴らしいと絶賛されました。
母校は母港だという表現を褒めていただけました。
読み返したら稚拙で恥ずかしい内容でしたが・・。
当日の参加者には一部上場企業の役員もいました。
しかし、会社での肩書きをひけらかす人はいません。
子供についての自慢をする人もいません。
地味な大学の地味な珠算というサークルの地味な真面目な人々。
参加者の人柄の良さを感じられずにはいられない会でした。
50代ですでに他界された先輩が3名。
4年前には元気だったのに、倒れて下半身付随の状態になった先輩もいるそうです。
元気で、また4年後に会えることを望むばかりです。