森友学園や加計学園問題で、その問題の経緯の検証において必ず登場する「忖度(そんたく)。
「忖度」とは辞書によると「他人の気持ちをおしはかること。推察。」です。
さて、コミュニケーションの7%は言語、
それ以外は非言語という調査研究があります。
それは、「メラビアンの法則」。
具体的には言葉がメッセージ伝達に占める割合は7 %。
声のトーンや口調は38 %。
ボディーランゲージは55 %。
言葉で伝わると信じている人は多いと思うのですが、それは完全な真実とは言えないということが分かると思います。
さて、日本はいわゆる日本人から構成されています。
ほぼ同一民族からなる日本では「多くを語りあわなくても分かりあえる」とも言われてもいます。
それは、いわゆる、「察する」力です。
対してアメリカ合衆国のように多くの異なる民族から構成される国では個人が主張しなければ生きていけないとも言われます。
アイデンティティに重きが置かれている教育がアメリカでなされるのも、それと関係しているからだと思います。
さて、エドワード・ホールは言語を「高コンテクスト」、「低コンテクスト」で説明しています。
「高コンテクスト」とは、わざわざ言葉にしなくとも相手に理解されること。
つまり、「察してもらえる」。
そこには日本語が高コンテクストとされています。
一方、「低コンテクスト」とは、言葉にしないと内容は伝わらないという考え。
ここではアメリカ合衆国で使用される「英語」が該当するというのです。
おわかりのように「忖度」とは決して悪い意味だけではありません。
特に弱者にたいして「察する」ことは、心の優しさがあるが故にもてる気持ちです。
権力者(上)から、そうでない人々(下)に向けて、
上から下への無言の圧力となる時に負の力になっているのです。
国会議員(上方)から官僚(下方)に向けて、
「管邸の最高レベルが言っていること」や「総理の意向だ」との発言が事実であるならばそれは完全にアウトです。
いずれにしても事の信ぴょう性については、
誰もが納得するように明らかにして欲しいものです。