昨年は徳川家康400年祭で、県内各地でもゆかりの地が多数ありイベントも行われていました。
それに特にこだわった訳ではありませんが、先日浜松市内の家康ゆかりの地を訪ねてみました。一昨日ご紹介した「犀ヶ崖」もその一つでした。
今日のご紹介は、一昨日の記事とも関連がある、家康が三方ヶ原の合戦に敗れ、敗走の途中に浜松八幡宮に駆け込み、社殿前の楠の木の洞窟に身を隠して難を逃れたとのことです。

(浜松八幡宮)
根元周りが14mにもなる巨大な楠は樹齢千年ともいわれ、そこに身を隠した家康が神に祈ると、楠の梢より瑞雲が立ち上り、老人の姿をした馬に乗った神霊が浜松城の方へ飛び去り、難を逃れたとのことです。楠の木から瑞雲が立ち昇ったことから「雲立の楠」(くもたちのくす)と呼ばれています。
神のご加護を受けた家康は、その後徳川代々の祈願所と定め、旗・弓・人馬などを奉納したと言われています。

(根元周りが14mもあるという楠(クスノキ)と、雲立の楠の石碑)

(巨大な楠と根元の楠の洞窟)
上の小画像は、浜松八幡宮の雲立の楠の案内板。云われの解説があります。
それに特にこだわった訳ではありませんが、先日浜松市内の家康ゆかりの地を訪ねてみました。一昨日ご紹介した「犀ヶ崖」もその一つでした。
今日のご紹介は、一昨日の記事とも関連がある、家康が三方ヶ原の合戦に敗れ、敗走の途中に浜松八幡宮に駆け込み、社殿前の楠の木の洞窟に身を隠して難を逃れたとのことです。


(浜松八幡宮)
根元周りが14mにもなる巨大な楠は樹齢千年ともいわれ、そこに身を隠した家康が神に祈ると、楠の梢より瑞雲が立ち上り、老人の姿をした馬に乗った神霊が浜松城の方へ飛び去り、難を逃れたとのことです。楠の木から瑞雲が立ち昇ったことから「雲立の楠」(くもたちのくす)と呼ばれています。
神のご加護を受けた家康は、その後徳川代々の祈願所と定め、旗・弓・人馬などを奉納したと言われています。


(根元周りが14mもあるという楠(クスノキ)と、雲立の楠の石碑)


(巨大な楠と根元の楠の洞窟)
上の小画像は、浜松八幡宮の雲立の楠の案内板。云われの解説があります。