大賀蓮の葉っぱは 普通の蓮より すこし小ぶりです。
泥の中から 茎が伸びて 蕾がつき・・・
私がまだ寝ている早朝に 「ポン」と 音を立て(たかどうか知らないけど)
花が開きはじめます。
きのうは うちの近所出身で 長年お世話になった方のお葬式でした。
自営のお仕事の関係が広いで 家族葬と言うわけにはいかず
コロナとはいえ従来のやり方で執り行われるときき
うちも 夫とふたりで参列しました。
享年82歳 男性。
日本が戦争に入るちょっと前に生まれ 生活が厳しかっただろう
少年時代を過ごし 中学卒業と同時に職人の世界に入り
その後 家庭を持ち 独立して 自分の会社を立ち上げ
一生よく働いた方でした。
まさに 戦後の復興を支えた 日本のお父さん! と言う感じでした。
地元を大事にし とことん人の面倒をよく見てこられました。
今は 会社を息子さんが継がれ 安心して逝かれたと思います。
祭壇に飾ってあった地下足袋と作業服 仕事道具など
お棺に入れてもらって 家族に見守られて 旅立ちました。
あの世でも よく働いて 皆さんに喜ばれるね。
席の間隔をあける都合で 100人でいっぱいになったホールに
入りきれない 多くの弔問客が 玄関にまで たくさん訪れ
みんなで旅立ちを見送りました。
今月だけで3軒目のお葬式がありましたが
一軒は 夫の一番上の姉でした。
家族と兄弟関係までで それでも きょうだいが多いので
15人程度でした。
もう一軒は 町内でしたが ごく近い家族だけで執り行うので
弔問を一切断られるということで
お香典を代表のかたに預けました。
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こういう職人さんですよね跡取りさんも
おられて安心されたでしょう
最近の葬儀は余程親しい身内が出席するだけで
あとはお参りをするだけで帰るというのが
此方の一般的なやり方です
法事なども縮小されるのが多いそうです
大賀ハスロマンがありますね
コロナになった途端にがらりと変わりましたね
確かに昔のお葬式は喪主も参列者も大変な思いでした
でもなんだか死が軽すぎる気がします
もうちょっと亡くなった人を悼む気持ちが表せたらと感じますわ
お棺に入れるもの まさに亡くなった人を象徴するものですね
ハスの写真がとっても素敵ー^o^♪
おはようございます
拙僧👴もお別れのお手伝いをさせて頂きますが🙏どなたの時も僧として出来る事を全身でさせて頂きます🙏🙇ナムナム南無阿弥陀仏
北見に最北端の大賀蓮を育てておられる方が居られます
7月の末~8月末まで花はあります
毎年何度か寄せて頂いて花🌸も2・3輪いただき佛様に
喜びいっぱい👴👵(^^♪(*^_^*)(^_-)-☆
何より何よりナムナム🙏🙇
そう言う時でも従来のやり方でお見送り
沢山の会葬者でお見送りされ 当人も喜ばれたことでしょうね
お義姉様がでしたか
ご愁傷さまでした
どこも少ない ごく近い血の者だけの見送りが主になりましたが
この方の職人魂はその出席者の数から 多くの後輩職人を育てたことを
物語っています。
わが家もそろそろ妹と 母の見送りを話す時期になっていましたが
この前 看取りコースから一般コースへと 母が戻ってきて
戦時下を経験した女性の強さを見せております。
それと同時に 母のお葬式の話は姉妹でしなくなりました。
義父母の人生の片鱗を垣間見ることができ、自分の両親の時もそうでしたが、弔いってこういうためにあるんだなぁと改めて実感しました。
この方は本業は左官さんでした。
大雨で土砂崩れなどがあると すぐに重機でかけつけ 岩や泥の除去などしてくれる人でした。
地域の人が 市にかけあって 緊急処置のおかげで助かったんだから
撤去費用を払ってくれるように頼まないと 本人は全然気にしない人でした。
家族だけで葬儀をしたら 後から自宅へ弔問に訪れる人が多くて
かえって 大変だったと思います。
心のこもったお葬式でした。
はじめて自分の家族が亡くなって自分の手で取り仕切ることへの 不安があると思います。
家族葬の方法がちらほら聞こえるようになり そこへコロナが大義名分となり
一気に 縮小もしくは家族だけとなったり はては お墓はいらないから
遺灰は海や山に撒いてくれとか 仏壇もいらないとか ひどいのは
遺体を押し入れや冷凍庫にかくすひとまで。
それは 家の中の断捨離ブームと 時を同じくしていると思います。
最近は 後継者がいなくて 本山から新しい住職さんをお迎えする場合もあれば
お寺によっては どなたもいらっしゃらないお寺もあります。
日本の社会を象徴していますね。
北見でも大賀蓮を!お盆にちょうど良いですね。
縄文遺跡から見つかった たった3粒の蓮の種から 全国に広がっていることに感動です。
うちの大賀蓮は 岡山後楽園のものと兄弟です。
コロナが落ち着いても葬儀のやりかたが 大きく変わると思いますね。
義姉は 84歳でしたが 元気で人のために生きた人でした。
遺されたのが 90歳の義兄。
ひょうひょうとした人で 当日もしっかりしていましたが
落ち着いたら だんだん寂しさが募るだろうと察します。