■「マリー・アントワネットに別れをつげて/Les Adieux A La Reine」(2012年・フランス=スペイン)
監督=ブノワ・ジャコー
主演=レア・セドゥ ダイアン・クルーガー ヴィルジニー・ルドワイヤン ノエミ・ルボフスキー
※注意・結末に触れている部分があります。
世界史を履修していた高校時代。中国史は大の苦手でヨーロッパ史が大好きだった。おそらく親父から「ベン・ハー」やら「カサブランカ」やら歴史がらみの映画を見せられたせいだろう。「ベルばら」にハマった訳でもないが、フランス革命は好きな単元のひとつだった。昨年の日本公開から観たかった「マリー・アントワネットに別れを告げて」がやっとわが街の映画館にやってきた。待ってました!。観たかったのには理由がある。歴史好きだから?いえいえ、好きな女優さんが出演してるからっす!(正直者)。お目当てはレア・セドゥ嬢。「MI4」の冷酷な殺し屋役で強烈な印象が残っていたのだが、「ミッドナイト・イン・パリ」で演じたパリジェンヌ役の素敵な笑顔にやられた。雨に濡れて歩くラストシーン。彼女の主演!そりゃ観なきゃ。王妃は「イングロリアス・バスターズ」でも美しかったダイアン・クルーガー、「8人の女たち」ではオードリー・ヘップバーン風のいでたちで可憐だったヴィルジニー・ルドワイヤン。
世間では退屈な映画と評する人もいるようだ。そういえば、僕の前の席で観ていた女性は半分近く寝ていた。ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」のように派手なロックや衣装に彩られた映画でもない。この映画が興味深いのは侍女の視点で描かれている点だ。レア・セドゥ演ずる主人公シドニーは王妃の朗読係。他の侍女たちとは違ってすぐそばでお仕えし、王妃の好みや振る舞いに日々接する立場。王妃も時折彼女に打ち明け話をしたり、虫除けになるからと香油を塗ってくれたりする。シドニーは誰よりも王妃に心酔し、憧れていた。そこにフランス革命勃発(バスチーユ襲撃)という大事件が起こる。襲撃シーンもなければ、逃げまどうパリ市民が映し出されることもないが、宮廷の中の人々がどれくらい動揺し、不安にさらされていたかが細やかに描かれる。襲撃当日、宮廷の記録には「特になにもなし」と記されていたと聞くが、それは表向きの話。外で起こっている事を知りたいと右往左往する場面は緊張感にあふれている。手持ちカメラが廊下にひしめく人々の間を主人公とともに動き続けるから、観ているわれわれもその場にいるかのような臨場感がある。それでも、興味は観る人次第だもんね。
王妃アントワネットには愛する人がいた。それは友人のポリニャック夫人。王妃にとっては恋人と言ってもいいくらいに愛情を感じている存在。王妃はその気持ちをシドニーに打ち明ける。やがてルイ16世は国民議会と話し合う為にパリへ。市民の間で処刑すべき人物の名を記した「ギロチンリスト」なるものが出回り、そのリストには王妃の名とともにポリニャック夫人の名も。危険が身に迫るに至り、王妃はシドニーを呼んである命を言い渡す。それは王妃を慕い、憧れていた彼女にとって実に残酷なものだった・・・。
予告編がストーリーをほぼ網羅してしまっているので、ある意味結末はわかった上で観ている。だが、そこに至るまでの心のドラマがこの映画の魅力。ハリウッド映画に毒されていると、わかりやすくストーリーを追うことができるかが映画の価値のように思われがちだ。別な言い方をすれば、どのように事件が起こって次にどうなるかに興味が向いている。だから説明くさくなるし、凝り性監督のちょっとひねった展開の映画はすぐに「わからん」と言われがち。「マリー・アントワネットに別れをつげて」の宣伝は、身代わりを頼まれるという残酷な結末をほぼ提示している(しかも予告編はラストシーンの台詞まで引用)。観客がこの映画で感じ取るべきは出来事の推移ではない。残酷な申し出に至るまでの、王妃の、シドニーの、宮殿の人々の心理こそが感じ取るべきものである。クライマックスでのレア・セドゥ嬢の表情や開き直ったような振る舞いは、言葉数こそ少ないが見事にシドニーのあきらめ、失意、それでも愛する王妃様・・・そんな気持ちを表現している。ポリニャック夫人のドレスを身につけて身代わりになれ、と迫る王妃を睨むようなシドニーの視線。粗末なドレスを脱がされ、銀幕に映されたレア・セドゥの美しいヌードとともに、その表情は目に焼き付いて離れない。全編ヴェルサイユ宮殿でロケをした映像は、映画を単に絢爛な絵巻物にしていない。ひどい衛生環境だった様子や侍女たちの生活なども描かれており、そこもこの映画の見どころ。