山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「戦後和解」は妥協ということか

2017-05-26 21:00:11 | 読書
 初老の隠居から「課題図書だぞ」と渡された、小菅信子『戦後和解/日本は過去から解き放たれるのか』(中央公論新社、2005.7)を読む。
 加害国・被害国の終戦後の亀裂・わだかまりを「戦後和解」していく歴史的・俯瞰的に解明している力作。
 作者は「平和のために過去を忘れてはならない」という信念は「一定の歴史を経て一定の時代と社会を背景にして生まれた歴史的現象である」とする。

                            
 それを「東京裁判」やイギリス・ドイツをめぐる戦後処理等をあげて例証していくところは新しい提起だ。
 戦後和解のためには「かつての敵対関係を超えた他者への関心と興味、個人の多様な戦後和解へのアプローチを許容する民主化された社会の存在が必須の背景」とする。

        
 「正義より妥協」というのが作者の主張だが、そうだろうか。
 加害・侵略に至った過程・構造を明らかにしていくことが基本だと思う。
 他国のよこしまな思惑もあるだろうが、大切なことは自国の思考停止と傲慢さを見つめることから和解のデザインが決定されると思う。

 中国・朝鮮からいつも言われる日本の歴史認識の欠如はその通りなのだ。
 それは妥協というのではなく誠意・謙虚さを貫くことから始まるのではないか、と。
 
コメント (4)
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