芥川賞受賞作、小野正嗣『九年前の祈り』(講談社、2014.12)を読む。大分県のリアス式海岸の寒村を背景にした痛みと優しさに包まれた小説だ。「ウミガメの夜」「お見舞い」「悪の花」の短編が同居しているが、いつのまにか繋がっていた。9年の時を経て二人の女性の慟哭がつながり、それがわけあり登場人物で癒され、土着的・情動的な世界に投げ込まれる。
作者が描く人物は、老婆・だめ人間・障碍者といったアウトローが主役で、そこにはリーダーやヒーローは出てこない。それはきっと、実兄が脳腫瘍で病んでいたこと、田舎のお婆ちゃんや近隣の人に自身がゆったり育まれたことにある。
したがって、都会や時代が失われていくもの、かけがいのない存在としての人間を大切と思うことが「祈り」でもある。彼はそれらを生み出す「土地の秘めた力」を掘り起こすことで文学になるとみる。現在と過去と幻想とが目まぐるしく混在して読みにくいところもあるが、文体の清冽さに引き込まれる。
故郷を描写する作家としては中上健次の刺すような切れ味ではないが、「弱者」(作者は障害者という言葉を含め、言葉が持つ概念で思考停止になるので使いたくないようだ)の切ない目線から描かれる描写は慎ましやかな風と大気と海の匂いを運んでくる。
「いま悲しみはさなえのなかになかった。それはさなえの背後に立っていた。…悲しみが身じろぎするのを感じた。それは身をかがめると、さなえの手の上にその手を重ね、慰撫するようにさすった。」
「海岸に沿った道はそしらぬ顔で、海とくんずほぐれつする地形に合わせて蛇行し続けていた。光は透明な衣となって死を包むことしかできない。…」