山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

近代を支えた近世の躍動

2018-07-11 17:42:51 | 読書

 渡辺京二『日本近世の起源/戦国乱世から徳川の平和へ』(洋泉社、2011.7.)をやっと読み終える。日本のスムーズな「近代化」には江戸の成熟した社会の前提と連続がある。それは作者の渡辺京二をはじめ誰もが首肯できることだが、作者は「心の構造」ということでは「徳川人と明治人とは本質的に異なる」断絶があるとする。それは戦国乱世の後期から生まれてきた領民が領主を選ぶという関係、つまり、領主は領内の平和・秩序の維持して領民を守る義務を負い、領民は税を貢納し地域の共同組織をテコに安穏を担う、とする暗黙の「契約」を結んだとする。

 

         

 そのことで、西洋が生み出した近代化とは違う日本の民衆の簡素で美しく陽気なふるまいと相互扶助の暮しを実現していると、幕末来日外国人に言わさせた。ところが、戦後の歴史学者を席巻したのは階級闘争史観で、それは農民と武士とが対立した暗い封建時代というのが定説だった。そう言えば、夢中に読んだ白土三平の「カムイ伝」なんかは確かにそんな内容だった。

 

               

 渡辺京二氏がこれでもかと引用する内外の史料を読みこなすのは難儀だったが、要するに「西欧近代だけが近代のあり方ではない」ということ、文明開化・西洋化で日本が失ってしまった「面影」のなかに、これからの日本のあり方の方向があるのではないかという作者の鮮烈な思いがこもった内容だった。

 

 

 

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