山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

熱波のなかの畝立て

2018-07-21 20:53:57 | 農作業・野菜

 観測史上最高の猛暑が続く。熱中症で死亡するニュースも連日だ。そんななか、なんとか畝立てを行う。頼りは鍬とレーキだ。数回大地を耕すと1回深呼吸をする。休みついでに石を拾い出す。汗が大地に落ちる。きょうは風があるからいいが、湿度が高いと日中作業を止めて木陰作業を優先する。しっかり飲んでしっかり休んでいるので熱中症の心配はしていない。汗びっしょりの下着も一日に2~3回変えてもいる。

 

     

 朝は野鳥のモーニングトーク時間。蚊も日中は出てこないので半袖で作業ができる。夕方は蚊の餌食になってしまうので、蚊取り線香を焚きながら作業をする。顔と手はそれでも刺されるので虫よけスプレーを噴射しておく。労働時間は短くしているので無理はしないことに徹する。

 

           

 土壌はまだまだ豊穣とは言えないが、まずは石拾い。ススキや雑草を漉き込んでいるので粘土質の土壌が改善されてきた。人参や大根も二股がずいぶん少なくなってきた。荒野からやっと畑らしくなってきた。落葉をもっともっと集めて有機肥料にしたいがまわりに広葉樹が少ない。荒野と空き家が増えてきている。

 ヒューブナー(明治元年来日したオーストリアの外交官)は、明治4年に富士山麓を旅行したが、彼が通過した「村々はどれも清潔で瀟洒で、見るからに栄えている様子」で、村々をつなぐ「街道はただの小道にすぎないが、手入れが行き届いており、たいへん活気にあふれてい」た、という。(渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社)

 つまり、現代より幕末から明治初期の田舎のほうが活気があったのではないかと思えてならない。景気高揚のためにカジノや原発を導入してしまう感覚は目先の利益優先でしかない。そういう積み重ねが田舎力を減退させ、日本人の精神を萎えさせていく。

コメント
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