うだる暑さの日本列島の中でも、緑に囲まれた山里の国道を通ると温度が下がるのがわかる。その国道沿いにはヤマユリがそこここに咲きだしている。わが小さな裏山にもヤマユリが咲いているのが見える。
雑草の多い所でも崖のような岩場でも、その上品な姿をさらしている。近づいていくと花の甘い匂いが相手を捕捉してしまう。幕末から明治にかけて欧米からやってきたプラントハンターは、身近にある日本のヤマユリの見事さに驚愕して、せっせと本国に球根を送ったという。その後、ゆり根が輸出産業の花形ともなる。
ユリ王国だった日本の残影がまだ生きているのが過疎に悩む中山間地でもある。植えたわけでもない自生のヤマユリが自然に息づいている風景が素晴らしい。場所によっては岩場に根を張り花を道路スレスレに咲いている光景がよく見られる。
さらにはこぼれ種だろうか、「コオニユリ」も近所に咲いていた。むかしはカノコユリなんかもふつうに咲いていたのかもしれない。ユリは欧米ではキリスト教や王宮の高貴な花になったものだが、日本では庶民の暮しの隣にあった。幕末の外国人にとってはそんな日本は「庭園国家」と称するほど、花と植物に囲まれた桃源郷に見えた。欧米人にとっては自然は開拓の対象であり、その失った草木を人工的に取り込むのが庭だった。人間中心主義ということだ。
それに比し、日本は人間は自然の中の構成員と考え、自然との共生を当たり前としてきた。しかし近代の西洋化とともにそれは放擲され、森は商品価値の市場化とされた。ヤマユリを見てそんな脱線をしながらカメラを向けるのだった。