エアコンのないわが家にとっての冷房家電は、「扇風機」だ。手動の団扇も大いに併用しているけどね。メディアはしきりにエアコンを買え・使えと、しかもつけっぱなしが効果があると喧伝する。隙間だらけのわが家には扇風機が似合うと、数年前、安物の扇風機を買い変える。買ったのはたまたま東芝製だった。しかし、しばしば止まってしまう。叩くと直ったりしたが、あまりに頻繁なのでネットの「取説」で原因を調べた。どうも台座と支柱がしっかりかみ合っていなかったようだ。本体にぶつかると緩んでいったようだ。そんなことが何回かあった。ネットの「取説」は高齢者にはとっても操作しにくいし、字も小さく、わかりにくい。
極め付きは「掃除機」だ。機能が繊細過ぎてちょっとしたことで止まってしまう。ゴミが溜まってないのにエラー表示が出たり、低い段差に当たるとすぐ止まってしまう。いろいろ機能は豊富だがあまりに使い勝手が悪い。すぐ返品すればよかったがぐずぐずして機会を失う。これもたまたま東芝製だった。
パソコンも東芝製だった。このパソコンも機能は豊富だが複雑でなかなかマスターできない。消費者目線が皆無だ。30年前と基本が変わっていない事項も少なくない。これら東芝の電化製品に特長的なのは、目先の機能重視で社内のプレゼンテーションをまずは合格して商品化するという、消費者本位ではない小賢しい空気が蔓延していることを感じる。これらの製品を前にして東芝の衰退がなるほど理解できる。経営者も技術者も企業倫理や理念が欠落している。今日の大企業もそこが揺らいでいる。世界的な競争原理だけに眼を奪われて本来的な社会貢献を地道にやっていく真摯さが欠如している。
宮仕えしていたオイラも、管理職のイライラしたニヒリズムを嫌というほど浴びせられてきた。それと同じ構図を東芝にも政権にも感じられてならない。