山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

伝統的な?「川施餓鬼」供養

2022-08-17 23:13:22 | 出会い・近隣

 先日、集落で初盆を迎えた家の「川施餓鬼」の準備と供養が、近くの河原で行われた。以前キャンプ場にもなった河原で、午前中「精霊棚=施餓鬼棚」の祭壇づくりと周辺の草刈りを粛々と行う。今では板でコンパクトにセットされた手作りの盆棚だが、むかしはすべて河原の竹で時間をかけて立派に作り上げたという。

 本番はその日の夕方6時に集合する。今回の初盆は1軒だけだったので位牌は一つだった。親族は喪服で、近隣の人は後かたずけがあるので平服で参列する。

       

 「施餓鬼」は宗派によってやり方が違う。 真言宗は、施餓鬼と護摩祈祷を重視するので毎日のように行う。禅宗(臨済・曹洞宗)は、修行として食事で米粒7つを供養。浄土宗は、お供え・お布施で食事を施し参加者で分かち合う。浄土真宗は、施餓鬼法要はしない。餓鬼道は死後ではなく現世の心の中にあるととらえる。日蓮宗は、法華経の文字を一文字ずつ小石に書いて川に投げ入れる。

 ただし、地域によって花火や灯篭流しをやるところもあり、さまざまだ。わが集落も死者の盆送りといった意味合いで、本来の「川施餓鬼」のやり方が変容していったように思われる。つまり、お盆と川施餓鬼の違いは場所が変わっただけのように思われた。

   

 前回は、松明とともに僧侶と親族が入場して供養が始まったが、今回はなかった。いよいよ僧侶の読経から始まりそれが終わると各自で線香を1本ずつ手向け、それが終わると近隣者が米粒をつまみ、香葉で水滴を散らしてお参りする。最後にまた読経があり全員で合掌して供養は終了する。

       

 太い竹を伐り出して刳り抜いた所に川砂を入れてそこにお線香を挿していき、参列者が多ければ3列でも5列でも焼香できるよう工夫されている。棚そのものも集落のアイディアが蓄積・満載されている。供養が終わってからは、古い卒塔婆や棚の盆提灯・飾り・ほおずきなどを河原のそばで燃やしていく。夕闇が迫っていく頃、散会となる。

 集落からまた一人いなくなった。少子化対策の遅れと都市中心主義の弊害がじわじわと地方を蝕んでいく。そこには、行政の情熱も地域活動の盛り上がりもない。あるのは地球温暖化・環境破壊という地球の悲鳴。そして領土侵攻という人間が起こした戦争・強欲だけだ。餓鬼道は真綿のようにくるまって姿を変えて人間界を支配している。宗教界の無力、国連の無力、人間力の無力が際立つ。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする