![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/04/741b7363e1ed3cd2f81c6f478fe4df41.jpg)
ブラボーコレクションからの課題図書の二冊目、諸星大二郎『孔子暗黒伝』(集英社、1988.5)を読み終える。発刊された1980年代後半と言えば、東西冷戦が終わって、アメリカの一人勝ちと東欧革命が始まるとともに、新たなグローバル経済が世界を跋扈していく頃だ。日本はバブル経済がはじけ平成不況へと迷宮に突入する。
1970年代後半、「週刊少年ジャンプ」に連載されていたのが本書である。前作の『暗黒神話』と同じように、古代史・文学・哲学・考古学・文化人類学・宗教・民俗学・オカルトなど広いジャンルをバックに孔子と陰陽二つの性格に翻弄される「ハリハラ」の苦悩と挫折とが表現されていく。
(画像はletuce's roomから)
冒頭の孔子とその弟子は、宋の刺客に追われていて、逃げ込んだ所は滅亡した「周王」の墓室だった。そこには饕餮(トウテツ)文様に飾られた部屋があった。この文様は、財産・食べ物を食い尽くす神・怪物・鬼などを表す魔獣であると言われている。その魔獣がときどき本書に登場する。
そういえば、30年ほど前だろうか、中国の長江沿いに高い古代文明が形成されていた「三星堆(サンセイタイ)」や「仰韶(ギョウショウ)」遺跡の出土品を見に行ったことがある。その文様を見ると、中国のルーツと言われた「黄河文明」とは違うもので、むしろマヤ文明や古代エジプトの装飾に似ていた。
本書を貫く著者のイデアは、「陰陽五行説」のように思える。つまり、宇宙・世界・社会を陰陽二元的にとらえ、自然や物事は「木・火・土・金・水」の元素から成り立つとしている考え方だ。それがときにバランスが崩れ人間も世界も自然も変容されていく。その混沌世界の残虐なリアルを著者はこれでもかと描いていく。少年漫画誌にはふさわしかったかどうかは疑問だが、人間の首切りが普通に描かれている。
また、「易経」の語句が本書にたびたび引用されているが、オラの狭い感覚だと「占い」のイメージが強い。しかし、「易経」は儒教の基本書籍である五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)の筆頭に挙げられる経典で、東洋思想の根幹をなす哲学書。また、四書(大学・中庸・論語・孟子)は江戸時代後期には下級武士や庶民にまで普及し、読書能力や教養などの文化水準向上に果たした功績も大きい。なお、中国の漢代には、儒教が国教として採用され、四書五経は官吏登用試験の基礎ともなった。
最終章で、混沌とした破天荒な世界に対して孔子は「それでも 四季はめぐり 草木は茂り 何事もなかったかのように過ぎてゆく 天は何もいわんのだ」「天が何もいわずとも すべては過ぎゆき 人びとは生きてゆくではないか」とつぶやく。
それは、「迫害が起こって今日まで二十年、この日本の黒い土地に多くの信徒の呻きがみち、司祭の赤い血が流れ、教会の塔が崩れていくのに、神は自分にささげられた余りにもむごい犠牲を前にして、なお黙っていられる」と遠藤周作『沈黙』のラストシーンとつながるものがある。
全編を通して、中国・インド・東南アジア・日本・宇宙へと場面は変転し、そこに、孔子・周王・武王・老子・仏陀・ヤマトタケルらが配置されていく、という壮大な装置に読者を引きずり込む。本書への各種経典からの引用は難解この上ない哲学書もどきにすることで、現代にも進行しているリアルな残虐と混沌を予言するとともに、極端な刺激を抑制している。
/
要するに、科学技術や生活は向上しても、人類の残虐性や頽廃は簡単にはリセットできない渦中にあるということを正視しなければならないということか。杜甫の「国破れて山河在り,城春にして草木深し」とあるが、現代の戦争によれば草木さえ生えないほどの壊滅と人間のジェノサイドがある。
こうしたなかで、どうすることが生きる希望とつながるのだろうか、というそこに呻吟する著者の姿がにじみ出てくる作品でもあった。それはきっと、ブラボーさんの叫び・無常観、いや「秘術」・悟りなのかもしれない。