数か月に一回ほど、大都会を歩くことがある。といっても、ほかに用事があってそのスキマ時間を利用するに過ぎない。そんな中、浜松市の駅近くを歩いてみた。お寺の隣に空き地のような小さな公園(高町公園)があった。そこに二度も総理を経験した若槻礼次郎(1866-1949)にかかわる石碑があった。
礼次郎は、足軽出身の家で生まれたが赤貧の暮らしに翻弄されたものの、今の東大法学部に見事合格、首席で卒業する。その後、政党の総裁をやったり、総理を
担った。時代は満州事変をはじめ軍部がすべてに跋扈していたため、和平・穏健派の礼次郎は戦争の不拡大方針を堅持できなかった。(画像は松江歴史館webから)
御影石の石碑は、「偉大也協力一致之功」(昭和6年、1931年)という礼次郎の揮毫が彫られていた。道路拡幅の都市計画が地元の協力で実現したシンプルな感動がそこにはある。出典は「三国志演義」らしい。その隣に、40cmほどの目立たない小さな石柱(画像左側)があり、そこには「克明館」という藩校名が刻印されていた。もともとは、水野忠邦の水野藩の藩校「経誼館」があり、その跡に井上藩の「克明館」が継承される。その後、ここは浜松県庁(明治4~明治9)が置かれた。
そこからすぐのところに、昔は商店街があったろうことが推測される「看板建築」が継承されていたのを偶然発見。いわゆるお米屋さん米搗き処「光吉屋米店」だ。そこで販売している米がなかなか意欲的な米を提供している。例えば「ピロール米」は、土中の「ラン藻」の力を使って残留農薬やダイオキシンなどを分解させ、ミネラル豊富な栄養を増進させる農法でつくられる。
また、行政も応援している「浜松地域特別栽培研究会」が栽培している米も扱っている。それが「やら米か」とか「まいひめ」などのお米だ。まだ少数の農家だが環境や地球温暖化を考慮した農法を実践しているところが素晴らしい。もっと、マスメディアもお笑い芸人に頼るのではなく少数ながら「ポツンと」頑張っている人をどんどん発掘して取り上げてほしいものだ。でないと、日本の劣化は食い止められない。人間の劣化は大国も中東も世界もはなはだしい。その結果は現実に行われているジェノサイドとなってしまう。