昨日の「山の楽市」は寒かった。わが集落では雨がぱらついたそうだが「山の村」はあられだった。やっぱり山のほうが寒いわけだ。隣にいた博士が「アカヤシオが近くで満開だったよ」と言っていたので見に行く。
確かに遠くから見ると満開のツツジが咲いていた。けもの道をくぐって近くまで接近する。どうもツツジは難解だ。どのツツジを見ても同じようにしか見えない。アカヤシオはオシベが10本というが、このツツジは5本のようだ。ひょっとすると、ミツバツツジなのかもしれない。
アカヤシオの葉は5枚で、ミツバツツジは3枚だからそのうち葉が出てくればはっきりするかもよ、博士どの。山の村の植物の豊富さをどしどし発見したいが人工林だったところだから大きな期待はできない。が、想定外の植物に出会うかもしれない。なにしろ、「エンシュウムヨウラン」(ラン科)はここで新発見されたのだからね。
本日、新しい「元号」が「令和」と発表された。漢和辞典をひも解くと、「令」とはいろいろな意味があるが「人がひざまずき神意に耳を傾ける」という意味があるそうだ。いかにも安倍君が好きそうな意味が内包されていると思われた。
確かに遠くから見ると満開のツツジが咲いていた。けもの道をくぐって近くまで接近する。どうもツツジは難解だ。どのツツジを見ても同じようにしか見えない。アカヤシオはオシベが10本というが、このツツジは5本のようだ。ひょっとすると、ミツバツツジなのかもしれない。
アカヤシオの葉は5枚で、ミツバツツジは3枚だからそのうち葉が出てくればはっきりするかもよ、博士どの。山の村の植物の豊富さをどしどし発見したいが人工林だったところだから大きな期待はできない。が、想定外の植物に出会うかもしれない。なにしろ、「エンシュウムヨウラン」(ラン科)はここで新発見されたのだからね。
本日、新しい「元号」が「令和」と発表された。漢和辞典をひも解くと、「令」とはいろいろな意味があるが「人がひざまずき神意に耳を傾ける」という意味があるそうだ。いかにも安倍君が好きそうな意味が内包されていると思われた。
令に和す、もしくは、命令を唱和する(させる)、ですかね。 こんなこと書いても大丈夫かな ?
それにしても浅学非才の身には、訓読みの万葉文字の万葉集の詞書に音読みの漢文が書かれていたとは知らなかった。 おまけに漢籍に類似先行例もあるらしい。
浅学非才を自任する老生としては中国の真似から始めて廃止まで真似をすることもないと思っています。
こうした多面的な言葉遊びができるのも日本の文化であり、今の中国に改元があっても、やったら個人の終わりの国になってしまっているようです。
官民癒着といわれる下々の大企業でもすでに昭和の時代に会計処理システムの電算機化に合わせて社内文書は西暦に統一して官庁に提出する書類に元号表記を用いていました。
原書類添付の場合はそのまま提出して何か言われたら補足するようでした。
企業や官庁と取引する中小または個人企業にはこの使い分けの事務作業は面倒だったかもしれませんが・・・
老生の現役時代にはまだ手書きの請求書が送られてきました・・・電算機入力のための西暦追記はこちらも面倒だったなあ。
外交文書の西暦化は西暦併記で決着しそうですね。
君主は空間ばかりでなく時間をも支配する者として、その政治的支配の正統性を宣言したものだったんですね。
だから、日本の役所は元号使用を貫徹しているわけですね。つまり、天皇制という国体を冷徹に維持しているのをつい忘れてしまいますね。といっても、西暦はキリスト生誕が起源ですから、それを使用するのは疑問…、というわけで、身近な年号には政治・宗教がらみであることを看過しながら、なるべく思考停止しながら生きているのが、生き延びるということかなー。