奈良斑鳩町藤ノ木にある古墳の狭い石棺(セッカン)に二人の貴公子が合葬され、それが誰だかまだ特定されてないという。そこで、朝日新聞社・古代騎馬文化研究会編『藤ノ木古墳の謎』(朝日新聞社、1989.7)を読んでみる。しかし、討論中心の国際シンポジウムの報告集ではあるが、学術的過ぎてわかりにくい。
古墳から出てきた馬具や装飾品は近隣古墳の中でも一級品だという。それも、高句麗・百済・新羅等朝鮮半島の影響が強い形状で、その紋様は中東アジアからの伝播が認められるという。結論的には誰が眠っているかについては明言を避けている。1985年(昭和60年)に第1次発掘調査、1988年に第2・3次調査をしているので、本書はばたばたとまとめられた雰囲気がある。
それをわかりやすくコンパクトにまとめたのが、前園実知雄『斑鳩に眠る二人の貴公子・藤ノ木古墳』(新泉社、2006.12)だった。写真や図解が豊富であるのが素人には心地よい。時代は6世紀後半、朝鮮半島の攻防は大和政権にも強く影響し、蘇我氏と物部氏との神仏論争が政権内部の残酷な誅殺へと進んでいく。
とりわけ、590年前後は惨殺される指導者・皇族が集中している。その死者のなかから、前園氏は、被葬者は欽明天皇の皇子で聖徳太子の叔父である「穴穂部皇子(アナホベオウジ)」と宣化天皇の皇子の「宅部皇子(ヤカベノオウジ)」だったのではないかと推測する。二人とも、蘇我馬子らによる殺害ということだが、その根拠が蘇我氏悪玉論しか文献にない。
本書は、「遺跡には感動がある」とするシリーズ「遺跡を学ぶ」の一冊だ。学術的なことばかりではなく地味で困難な発掘作業も報告している。考古学を広めようとする意欲があふれている。半世紀前オイラが博物館学芸員のペーパー資格を取ったときは皇室の臭いがプンプンしていてその頑迷な固執に辟易したものだったが、現在はずいぶんと多様なジャンルも含めた柔軟なものになってきた。
その意味で、考古学も斬新なイノベーションを積み上げてきた足跡を本書からも確認できたのがうれしい。