国道沿いに咲く「ヤマユリ」はそろそろ終わりに近づいてきた。群生していた見事なヤマユリを撮ろうとしていたがつい機会を失う。それほどにふつうに咲いている日本原産のヤマユリなのだ。幕末にやってきた外国のプランターがこうしたヤマユリの群立や田園国家日本の美しさに驚愕している。
狭い国道で対向車とすれ違う時、車がヤマユリにぶつかって折ってしまうこともある。発芽から開花までには約5年以上はかかり、さらに栽培も難しいのを聞いて、あらためて存在の貴重さに気づく。
それにしても、大輪の花を支える茎の細さが気になる。咲いている半分以上が倒れ掛かっていたり、折られたりしているのを目撃する。存在の重さに耐えられないいのちの発露は、華麗な姿のなかに残酷な生の寂寥が込められている気もしないではない。
先日、大河ドラマでウイーン万博(1873年)が放映されたが、その万博でヤマユリも注目されることとなる。それをきっかけにユリ根が輸出され、輸出品の主要なひとつになっていく。1908年(明治41年)に輸出されたユリ根は約1200万個だったという。神奈川の丹沢が群生地だったのでそこから横浜港へ輸送されたことから、神奈川の県花はヤマユリとなる。そんな背景を知っていくとまさにヤマユリをもっと増やさなければと思う。