田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

2007/3/18

2007-03-18 20:47:53 | Weblog
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。

北九州の上空1500メートルには摂氏零度の寒気が腰を下ろしているとかで、朝から冷え込みの厳しい関門にコーラル丸で釣に出ました。

(アジ、釣れ始める)
 同行のパソコン屋のI氏が言うには、昨日寄った釣道具やでアジが釣れ始めたと聞いたと、耳より情報。
新日鉄の埠頭近くに船を止め、船長以下6人、撒き餌を詰めたサビキ仕掛けを投入。
程なく、オデン屋のS大将が釣れた!と、30センチ近くの立派なアジを釣り上げる。
この後、コンスタントに小ぶりのアジ、25センチ前後のコノシロが絶え間なく竿を曲げる。
ビールのピッチも快調。
冬が去り、関門にアジが戻ってきた様子。

(電池切れ)
数学のS先生が私の背後で、釣っており、ダブルでいい方のアジ。
丁度持ってきたデジカメで写してあげると、ポーズ。
シャッターを押すと、電池切れの表示。
友人のK氏が作ってくれたブログに載せると持ってきたカメラも、電池切れでは処置無し。
温かい日差しが射しはじめ、引っ切り無しに美味そうなアジが竿を曲げて、生簀の中は、魚で底が見えないほど。

(生傷が絶えず)
生簀の蓋を持ち上げていると手が滑り、ゴチンと蓋が落ちて、右手親指に落下。
皮が剥けて、血が少々。
同じ右手の手首、10日前、ラーメン屋の大将のI氏の仲間と紫川の側で彼岸桜を見ながらバーベキューをしていて、炭火を水で消した際、水蒸気が猛烈に吹き上げて、火傷。
まだ包帯取れず。ダブル負傷。
海水で洗っておく。
田舎生活をしていると皮膚の生傷が絶えない。
これは子供の時分からの事で、こうした生傷の絶えなかった、戦後しばらくの世代には、アトピーは無かった。
しょっちゅう傷ついているので、皮膚の抵抗力が強かったためらしい。
子供は田舎で育ったほうが良い。

(M先生のフィリピン行き)
 獲物でズッシリ重いクーラーバッグを担ぎ、M先生と帰路に。
日豊線が一緒で、丁度電車のボックス席が空いているので、そこに陣取る。
横のボックスにいた家族連れが席を離れて、遠くの席に。
袖口を匂ってみると、撒き餌の沖アミ、アジを締めた際のウロコと血のりの匂いがプーんと匂う。
M先生と我々は相当臭いらしい、逮捕されるかもと喋りながら電車でビール。
M先生、89歳の父上とフィリピンの高原にある都市に戦前、ここで亡くなったお父上の母君の墓参りに先月行って来たとの事。
この3月末、M先生は停年で、9月から、単身この都市の高校の数学教師になることを図っていたが、学長と会って、本決まりになったとか。
3ヶ月行って、2ヶ月帰国といったペースかと聞くと、気合を入れてやるとニヤリ。
住み着く覚悟らしい。
目が輝いている。
フィリピンに行ってしまう前に、釣にビールに徹底付き合い。

(妻農園)
 留守番役の妻は、卓球・温泉仲間のご夫婦と、竹田農園に出かけて、草取り、ワケギの収穫に汗を流してきたとの事。
近所の土建屋の親父さんの案内で、竹の子も掘り上げている。
素晴らしく畑は綺麗になったとのこと。
このご夫婦、ご主人が来年停年で竹田農園の共同経営者になってくれるかも。
コメント
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