田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

大津島への旅(2009/3/15、16)

2009-03-16 18:11:33 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日、今日と徳山市の沖合の大津島に一泊二日の旅でした。
小倉室町のラーメン屋錦龍のI氏と、小倉駅前の焼鳥屋のIY氏に世話好きのS女史の息子さん19歳の4人。
大津島の回天記念館を見てこようとなったもの。
天気よく、鈍行列車でのんびりの旅でした。

(チヌとアサリ)
大津島の港(馬島)に着き、記念館を見学して、港に戻り一休み。
島全体が花崗岩からできており、砂浜は、石英・長石がくだけた真白。
孟宗竹が50本ばかり、規則正しく、港近くの入り江に立ててある。
I氏がこれを見つけて、「これは何じゃ」と。
皆、頭をひねるがさっぱり分からない。
民宿に行く時刻にまだ時間があるので、港の前でサザエ・アムール貝を焼いて食べさせる店があるので、ここに腰をおろす(写真)。
サザエ屋のご主人とすっかりうちとけて、
「あの孟宗竹、何のためにあるのか」と聞くと、
「以前あさりを養殖しようと、稚貝をあそこに撒いた。
竹はそのための道具立て。
しかし、大きなチヌが沢山やってきて、あさりを食べてしまい、失敗。
群れをなしてチヌが泳いでおり、網でも捕まえれそうだったが、味の悪い時期で、あきらめて放置した」とのこと。
魚影の濃い、いい島。

(島の人親切)
ここでサザエ、アムール貝をたらふく食べて、ビールを飲んで腹いっぱいに。
すると軽自動車が止まり、
「竹田さんですか?」と運転の女性。
港から船を使って民宿のある集落(刈尾)まで移動する予定だったが、迎えに来てくれたもの。
4人は乗れないし、すでに船の切符を買っていたので、荷物だけ運んでもらうことに。
すると、それを見ていたサザエ屋のご主人、
「私がみなさんを宿まで車で運んであげよう、切符は払い戻してもらいなさい」と。
切符を売っているのがこのご主人の奥さんで、払い戻ししながら、
「どうせなら、島の裏側の夕陽の沈む光景をみせてあけなさいよ」とご主人に。
おかげで、見事な瀬戸内海に沈む夕日を高台から堪能できました。
島の人、皆さん親切でスレテいない。

(鈍行の旅)
山陽道をJRで移動するときは、いつも新幹線。
しかし、I氏の発案で、鈍行列車は沿線の景色が堪能できていいぞと。
3月も半ば、田んぼや畑は緑の草に覆われ、モモの花があちこちにピンクの彩。
行きは缶ビール3本、帰りは2本、楽しい旅でした。

(回天記念館)
関係者により大切に資料が管理・保存されており、下にご紹介。
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回天記念館で見た遺書

2009-03-16 16:55:48 | 戦前・戦中の日々
回天記念館の展示の資料の中にあった、20歳の青年の遺書。(写真)
ちょうど帰省中の次男とよく似た年齢で、胸が痛みました。
また私は59歳ですが、この青年のような集中力はないと、敬服しました。
内容は
「恩師先輩親類近所ノ方へ 
皆様有難ウ 
思ヘバ 楽シイ二十年ノ人生 
皆様ノご厚意ヲ体シ 笑ッテ突ッ込ミマス 
軍人精神 忠節礼儀武勇信義質素誠ヲ以テ一貫ス 
若桜万朶ノ桜 海軍二等航空兵曹 松田光雄」
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映画出口のない海のモデル(2009/3)

2009-03-16 16:19:29 | 戦前・戦中の日々
3/15に初めて訪れた、山口県、徳山沖の大津島の回天記念館で、係りの方に、出口のない海の映画を見てやってきた、このモデルになった方がいたのかとお聞きすると、
「東大の和田稔氏、野球が好きな方で、映画と同じように、昭和20年7月回天の訓練中浮上できず、米軍の空襲が激しいため救助もできず、亡くなられた。
同年9月、枕崎台風の波により岸に回天が海岸に打ち上げられ、遺体は回収された。
記念館入り口の通路の両側の戦死者の墓碑銘に和田氏のものもある」とのこと。
案内された、地元の特産の御影石に掘られた墓碑銘を撮影。
江藤正翁とほぼ同じ経歴で、生きておられたら良い仕事をしたろうにと、思いました。
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