田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
5年前に亡くなった両親の墓参りに、妻と四国今治に2泊3日の旅でした。
新尾道まで新幹線、レンタカーを利用しての気楽な旅です。
(ビオトープ)
墓参りのあと、父母の面倒を最後までみてくれた叔父と叔母の家に挨拶。
叔父は、父の弟にあたり、私より一回り年上の75歳。
今治の市内の家業の軍手工場を
取り壊した跡地に、数年前からビオトープ作り。
2年前から夏は暑いので、風通しのいい茅葺小屋を作り、昼寝したいと、手作りの小屋をコツコツ作っていましたので、そろそろ出来たかと見物。
叔父がちょうど居合わせ、小屋を見せてもらうと、これではまだ雨が漏るでしょうと思わず言うと、もっと萱がいるが、これでも涼しいのでいいと。
なるほどハンモックを吊るし、昼下がり寝転んで本を読んだりうたたねしているとか。
涼しい風が土間むき出しの小部屋を通り抜けていました。叔父とバチり(冒頭)
(宴会)
初日の夜は、数年前お知り合いになった、WT氏ご夫妻と、NDご夫妻と瀬戸の美味しい魚料理の店に。
WT氏とは父母の見舞いに今治に行き、夕ご飯にと寄った焼き鳥屋さんでたまたま隣におられて話が弾み、その後、いろいろとご恩になり(父の蔵書をまとめて引き取ってくれたり、今治の家を処分する際、しっかりした司法書士を紹介してくれたり)今治にいくたび連絡。
ND氏はWT氏の親友で、よく一緒に旅行を楽しんでおられる。
段々酔いが回り、WT氏になた豆をお送りするとか、皆さんが九州に旅することがあれば、一度竹田農園でバーベキューを楽しみましょうとか話したような記憶がかすかに。
また、WT氏とND氏の奥さんは今治の向かいの大島のご出身で島の面白い生活振り等、聞き惚れたりでした。最後にパチリ。
(別子銅山跡)
二日目は 既に廃坑になって40年以上たつ、新居浜の別子銅山、跡地が見学できる施設になっているとのことで、台風16号で、強い雨が時々降る中、ドライブ。
別子銅山は銅の精錬の際の亜硫酸ガスで、広範囲の農地に被害が出て、社会問題になった、しかし優れた経営者が輩出、最後は見事に解決したと、子供の時から教わっており、父も戦前はここで働いたことがあり、一度見たいと思っていたところ。
行ってみると、坑道の中を見学でき、当時の採掘のありさまを目で見て理解できるように工夫され、鉱業の体験として砂金採りのコーナーもありで、楽しめました。
坑道入口↓
坑道の中
砂金採り体験 実際の砂金、トルコ石等は、別途混入。砂金を採る技術を体得するのが狙い、面白い
流される歴史を説明するビデオには広瀬宰平、伊庭貞剛といった、住友を支えた名経営者の紹介があり、立派な日本人がいたのだと、再認識しました。
(松山に)
そのまま、松山まで足を延ばし、秋山好古、真之の兄弟の生家(復元)を見学。
松山の街にはいると虹
電力の鬼の松永安左エ門の親友として聞いていた山下亀三郎(山下汽船創業)が好古の顕彰碑作成に尽力したり、真之が亡くなったとき療養の地としていたのは山下亀三郎の小田原の別荘だったとか、秋山兄弟と縁が深かったと初めて知った次第。
好古の騎馬の銅像の前でパチリ。
入浴した道後温泉が、かけ流しだとか、2年前、豪雨で全壊した愚駄仏庵(正岡子規と夏目漱石がいっしょに下宿)の復元のための寄付集めが始まっているとか初めて知ったり。
道後温泉
子規記念館の愚駄仏庵のセット
松山城
(40年振りの再会)
ブログに時々コメントをくれる、Y氏とY氏の幼馴染で、私の大学時代下宿が近くてよく一緒に遊んだF氏と3日目の今日の昼食を一緒に。
場所は景色と美味しい料理で有名な糸山の大潮荘。
松山と今治を結ぶ海岸線
お二人と会うのは40年振りで、お互い、顔の皺は増え、筋肉は衰えていたものの、まだ記憶力と感受性は昔のままで、釣りの話(F氏はグループで2隻、釣り船を持っている)やら昔の思い出話と今だから話す真実とか、時間のたつのを忘れる楽しいひと時でした。
皆でパチリ、逆光でした。次はちゃんと撮ります。
予定通り、夕方我が家に着き、妻と、ああ面白かったでした。
今度の日曜日、白島沖にテンヤ釣りの予定。波静かでありますように。
5年前に亡くなった両親の墓参りに、妻と四国今治に2泊3日の旅でした。
新尾道まで新幹線、レンタカーを利用しての気楽な旅です。
(ビオトープ)
墓参りのあと、父母の面倒を最後までみてくれた叔父と叔母の家に挨拶。
叔父は、父の弟にあたり、私より一回り年上の75歳。
今治の市内の家業の軍手工場を
取り壊した跡地に、数年前からビオトープ作り。
2年前から夏は暑いので、風通しのいい茅葺小屋を作り、昼寝したいと、手作りの小屋をコツコツ作っていましたので、そろそろ出来たかと見物。
叔父がちょうど居合わせ、小屋を見せてもらうと、これではまだ雨が漏るでしょうと思わず言うと、もっと萱がいるが、これでも涼しいのでいいと。
なるほどハンモックを吊るし、昼下がり寝転んで本を読んだりうたたねしているとか。
涼しい風が土間むき出しの小部屋を通り抜けていました。叔父とバチり(冒頭)
(宴会)
初日の夜は、数年前お知り合いになった、WT氏ご夫妻と、NDご夫妻と瀬戸の美味しい魚料理の店に。
WT氏とは父母の見舞いに今治に行き、夕ご飯にと寄った焼き鳥屋さんでたまたま隣におられて話が弾み、その後、いろいろとご恩になり(父の蔵書をまとめて引き取ってくれたり、今治の家を処分する際、しっかりした司法書士を紹介してくれたり)今治にいくたび連絡。
ND氏はWT氏の親友で、よく一緒に旅行を楽しんでおられる。
段々酔いが回り、WT氏になた豆をお送りするとか、皆さんが九州に旅することがあれば、一度竹田農園でバーベキューを楽しみましょうとか話したような記憶がかすかに。
また、WT氏とND氏の奥さんは今治の向かいの大島のご出身で島の面白い生活振り等、聞き惚れたりでした。最後にパチリ。
(別子銅山跡)
二日目は 既に廃坑になって40年以上たつ、新居浜の別子銅山、跡地が見学できる施設になっているとのことで、台風16号で、強い雨が時々降る中、ドライブ。
別子銅山は銅の精錬の際の亜硫酸ガスで、広範囲の農地に被害が出て、社会問題になった、しかし優れた経営者が輩出、最後は見事に解決したと、子供の時から教わっており、父も戦前はここで働いたことがあり、一度見たいと思っていたところ。
行ってみると、坑道の中を見学でき、当時の採掘のありさまを目で見て理解できるように工夫され、鉱業の体験として砂金採りのコーナーもありで、楽しめました。
坑道入口↓
坑道の中
砂金採り体験 実際の砂金、トルコ石等は、別途混入。砂金を採る技術を体得するのが狙い、面白い
流される歴史を説明するビデオには広瀬宰平、伊庭貞剛といった、住友を支えた名経営者の紹介があり、立派な日本人がいたのだと、再認識しました。
(松山に)
そのまま、松山まで足を延ばし、秋山好古、真之の兄弟の生家(復元)を見学。
松山の街にはいると虹
電力の鬼の松永安左エ門の親友として聞いていた山下亀三郎(山下汽船創業)が好古の顕彰碑作成に尽力したり、真之が亡くなったとき療養の地としていたのは山下亀三郎の小田原の別荘だったとか、秋山兄弟と縁が深かったと初めて知った次第。
好古の騎馬の銅像の前でパチリ。
入浴した道後温泉が、かけ流しだとか、2年前、豪雨で全壊した愚駄仏庵(正岡子規と夏目漱石がいっしょに下宿)の復元のための寄付集めが始まっているとか初めて知ったり。
道後温泉
子規記念館の愚駄仏庵のセット
松山城
(40年振りの再会)
ブログに時々コメントをくれる、Y氏とY氏の幼馴染で、私の大学時代下宿が近くてよく一緒に遊んだF氏と3日目の今日の昼食を一緒に。
場所は景色と美味しい料理で有名な糸山の大潮荘。
松山と今治を結ぶ海岸線
お二人と会うのは40年振りで、お互い、顔の皺は増え、筋肉は衰えていたものの、まだ記憶力と感受性は昔のままで、釣りの話(F氏はグループで2隻、釣り船を持っている)やら昔の思い出話と今だから話す真実とか、時間のたつのを忘れる楽しいひと時でした。
皆でパチリ、逆光でした。次はちゃんと撮ります。
予定通り、夕方我が家に着き、妻と、ああ面白かったでした。
今度の日曜日、白島沖にテンヤ釣りの予定。波静かでありますように。