田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
猛暑の毎日、今日は竹田農園で仕事探し中の若者2人とイノシシの柵作りをしました。
(イノシシ参ったか)
一昨年、昨年と炎天下草取りをしながら育てたサツマイモ約100株を完璧にイノシシに食いつくされた。
しかし、過去の話。
今年は準備万端、イノシシの襲来に備える構え。
お昼前農園に到着。
K氏は2日前コーラル丸で見事な釣の腕前を見せた若者、N氏は先週農園に初めて来て、イノシシの防御柵を兼ねる畑の周りの生垣を上手に剪定してくれた若者。
共に門司の人でこれといって仕事なし。
3人で、農園の山手にある竹林に。
イノシシ君の足跡、あちこちに。
出会いがしらで襲われないように、チリンチリンと鳴る鈴を腰にぶら下げての作業。
真竹を5本切り出して、ズルズル農園まで運ぶ。
すでに柵は畑の周囲にあったが、これを新たに4本の杭を打ちこみ、切り出した竹で横に固定し、ネットも予備を取り出して、昨年破られた箇所は二重ネット。
満足の出来で3人で引き上げる前、柵の前で記念写真(冒頭の写真)。
(江藤正翁と雑談)
元南海ホークスのエースの江藤正翁、お昼のバーベキューに声をかけて、4人で林の木陰に。
若者2人の仕事の話やら、野球談議やらでにぎやか。
一昨日釣ったキス、塩焼きでビールのツマミ。
以下、江藤翁の話。
○戦後第一回の製門戦(八幡製鉄と門司鉄道管理局)は大谷球場であり、門司の先発は江藤翁で門司の勝利。
○野球を本格的に始めたのは八幡中学(現八幡高校)で、北九州では6中学対抗戦が盛ん。
東筑、小倉、八幡、門司、若松の公立5校と門司の私立の豊国。
八幡は強かったのかと聞くと、4年、5年の時は江藤氏がエースで優勝。
しかし、先に一点とられると、負けというチームでしんどかったとのこと。
江藤正氏が出会ったバッターで最高と認める大岡虎雄氏は豊国の選手。
豊国は生徒がけんかっ早いことで有名だったとか。
K氏とN氏、「今もけんかっ早いです」と。
○若者二人と話しながら、ポツリと
「人間自信を持つことは大事。
私も上京して法政の野球部に行くと、甲子園で鳴らした、浪商、東邦といった中学からの選手が沢山来ており、無名校の私はヒビッテ、小さくなっていた。
哀れなもの。
しかし、翌日実際にプレーしてみると、大したことはない、ナンヤと思うと、周りの新入部員はあんたは何処の中学かと。
九州の山猿じゃ、と答えておいた」
江藤さんのお話を聞いていると飽きないですと、若者二人が後で感想を聞かせてくれました。
(隣の土建屋のI氏)
バーベキューも終わり、イノシシ柵を作ろうと腰を上げると、土建屋のI氏がやってくる。
また腰をおろして雑談。
若者2人と学校やら仕事の話。以下I氏の話。
○小倉の高校に通っていたが、面白くなく、3年の夏、辞めようと思った。
担任の先生が「今の汗と、将来の涙と、どちらを取るのか。今の汗を取れ」と意見。
いつも酒を飲んで朝から酒臭い先生だったが、陸士あがりの先生で尊敬。
おかげで、中退せずに卒業した。
○お祖母さんが大学に行かせてやると、入学金を工面してくれて、東京の私立の大学に。
授業料と生活費は住み込みの新聞配達で。
東京に行き、良い経験が出来た。
新聞配達では、500軒が対象で、ここの家族の人柄など、計2500人分、頭に入れていた。
集金もI氏の責任で踏み倒されるとアルバイト料から差し引き。
そのため、真面目な人か、金に汚い人かを常時観察してきた。
いい勉強。
学生のアパートが踏み倒しの危険が大きく、集金に行くと、麻雀をしており「金はない」と。
「よさそうな背広がありますね」と、いただいて帰ったことも。
I氏は空手2段で顔に迫力があったことと推測。
○今は、10人近くの人を雇って仕事をしている。
70歳代でもいい日給の人もいれば、20代でも安い日給の人もいる。
いちいち指図しないと動けない人の給与は安い。
70歳代でも自分で仕事を作ってやれる人は高い。
(K氏に「自分で仕事を作らないとダメだとよ」と言うと、K氏、
消えた蚊取り線香の火をつけている最中。
自分で仕事を作っていました。
感心。)
○バギー車風の草刈り機械をちょうど、運転しており、N氏、K氏に乗ってみないかと。
おっかなびっくりで運転。
結構上手い。
すると大きなシャベルカーを動かし始め、これにも乗らないかと。
二人とも乗りたそうだったが、ちょうど時間切れで、お開き。
江藤正翁といい、I氏といい、二人には魅力的な人生の先輩だった様子。
N艇長は明日、ラ・ニーニャ号で釣りとのことで、私は予定が立たず、残念。
猛暑の毎日、今日は竹田農園で仕事探し中の若者2人とイノシシの柵作りをしました。
(イノシシ参ったか)
一昨年、昨年と炎天下草取りをしながら育てたサツマイモ約100株を完璧にイノシシに食いつくされた。
しかし、過去の話。
今年は準備万端、イノシシの襲来に備える構え。
お昼前農園に到着。
K氏は2日前コーラル丸で見事な釣の腕前を見せた若者、N氏は先週農園に初めて来て、イノシシの防御柵を兼ねる畑の周りの生垣を上手に剪定してくれた若者。
共に門司の人でこれといって仕事なし。
3人で、農園の山手にある竹林に。
イノシシ君の足跡、あちこちに。
出会いがしらで襲われないように、チリンチリンと鳴る鈴を腰にぶら下げての作業。
真竹を5本切り出して、ズルズル農園まで運ぶ。
すでに柵は畑の周囲にあったが、これを新たに4本の杭を打ちこみ、切り出した竹で横に固定し、ネットも予備を取り出して、昨年破られた箇所は二重ネット。
満足の出来で3人で引き上げる前、柵の前で記念写真(冒頭の写真)。
(江藤正翁と雑談)
元南海ホークスのエースの江藤正翁、お昼のバーベキューに声をかけて、4人で林の木陰に。
若者2人の仕事の話やら、野球談議やらでにぎやか。
一昨日釣ったキス、塩焼きでビールのツマミ。
以下、江藤翁の話。
○戦後第一回の製門戦(八幡製鉄と門司鉄道管理局)は大谷球場であり、門司の先発は江藤翁で門司の勝利。
○野球を本格的に始めたのは八幡中学(現八幡高校)で、北九州では6中学対抗戦が盛ん。
東筑、小倉、八幡、門司、若松の公立5校と門司の私立の豊国。
八幡は強かったのかと聞くと、4年、5年の時は江藤氏がエースで優勝。
しかし、先に一点とられると、負けというチームでしんどかったとのこと。
江藤正氏が出会ったバッターで最高と認める大岡虎雄氏は豊国の選手。
豊国は生徒がけんかっ早いことで有名だったとか。
K氏とN氏、「今もけんかっ早いです」と。
○若者二人と話しながら、ポツリと
「人間自信を持つことは大事。
私も上京して法政の野球部に行くと、甲子園で鳴らした、浪商、東邦といった中学からの選手が沢山来ており、無名校の私はヒビッテ、小さくなっていた。
哀れなもの。
しかし、翌日実際にプレーしてみると、大したことはない、ナンヤと思うと、周りの新入部員はあんたは何処の中学かと。
九州の山猿じゃ、と答えておいた」
江藤さんのお話を聞いていると飽きないですと、若者二人が後で感想を聞かせてくれました。
(隣の土建屋のI氏)
バーベキューも終わり、イノシシ柵を作ろうと腰を上げると、土建屋のI氏がやってくる。
また腰をおろして雑談。
若者2人と学校やら仕事の話。以下I氏の話。
○小倉の高校に通っていたが、面白くなく、3年の夏、辞めようと思った。
担任の先生が「今の汗と、将来の涙と、どちらを取るのか。今の汗を取れ」と意見。
いつも酒を飲んで朝から酒臭い先生だったが、陸士あがりの先生で尊敬。
おかげで、中退せずに卒業した。
○お祖母さんが大学に行かせてやると、入学金を工面してくれて、東京の私立の大学に。
授業料と生活費は住み込みの新聞配達で。
東京に行き、良い経験が出来た。
新聞配達では、500軒が対象で、ここの家族の人柄など、計2500人分、頭に入れていた。
集金もI氏の責任で踏み倒されるとアルバイト料から差し引き。
そのため、真面目な人か、金に汚い人かを常時観察してきた。
いい勉強。
学生のアパートが踏み倒しの危険が大きく、集金に行くと、麻雀をしており「金はない」と。
「よさそうな背広がありますね」と、いただいて帰ったことも。
I氏は空手2段で顔に迫力があったことと推測。
○今は、10人近くの人を雇って仕事をしている。
70歳代でもいい日給の人もいれば、20代でも安い日給の人もいる。
いちいち指図しないと動けない人の給与は安い。
70歳代でも自分で仕事を作ってやれる人は高い。
(K氏に「自分で仕事を作らないとダメだとよ」と言うと、K氏、
消えた蚊取り線香の火をつけている最中。
自分で仕事を作っていました。
感心。)
○バギー車風の草刈り機械をちょうど、運転しており、N氏、K氏に乗ってみないかと。
おっかなびっくりで運転。
結構上手い。
すると大きなシャベルカーを動かし始め、これにも乗らないかと。
二人とも乗りたそうだったが、ちょうど時間切れで、お開き。
江藤正翁といい、I氏といい、二人には魅力的な人生の先輩だった様子。
N艇長は明日、ラ・ニーニャ号で釣りとのことで、私は予定が立たず、残念。
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