石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2月3日は栃木県藤岡町から小山市の石仏巡り

2007年02月03日 | Weblog
本日2月3日は、暫くぶりに栃木県藤岡町へ行きました。目的は、藤岡町の青面金剛塔で唯一写真撮影が洩れていた庚申塔を写真に撮ることです。その場所は、10年以上前に訪れたままだったので、探すのに手間を取ってしまいました。その青面金剛像、昔は民家の生け垣の中にあったので全体写真が撮れなかったのですが、今回行ってみるとその生け垣が取り払われており満足の行く写真が撮れました。これで、藤岡町の全青面金剛塔の写真はget!という次第です。何はともあれ、一人で乾杯です。
その後は、藤岡町寄りの小山市へ入り、実見しながら面倒なので銘文を書き写さなかった宝篋印陀羅尼経の銘文を4基、片づけました。それと、佐野市在住の高橋氏からご教示頂いていた、下生井地区櫻源寺墓地の「合爪」文字を調査してきました。そして同寺観音堂内に祀られている、六臂如意輪観音像の石仏も、今回は誰もいないのを幸いと開けて写真に撮ってきました。延宝年間です。
また、これも高橋氏にご教示頂いていた小山市迫間田地区の薬師堂にある宝篋印塔は、適当に巡ったので薬師堂に行き着くことが出来ず断念しました。まあ、所在地が判っているだけに、そう焦ることもあるまい!。と、相変わらず好い加減な石仏巡りです。何しろ、1日で5基の宝篋印陀羅尼経の銘文写しは”シンドイ”のも事実ですから…。(完全な負け惜しみ、そして言い訳ですネ)

小山市の「江戸前期迄庚申塔調査」が1月末で終了したので、今日は気分的に何となくのんびりしました。しかも今日は風もなく春のような暖かい陽気だったので、下生井の薬師堂にある、寛文銘の十九夜念佛塔の銘文も手拓することが出来ました。めでたしめでたしといった所です。そして今日は、総数で40基に満たない調査数ですが3時少し過ぎに調査は終了として早めの帰宅で、午後4時少し過ぎには家に着きました。

※数名の方に「石仏月報」1月号を発送しましたので、既に入手していると思いますが、標題の「号数」に誤りがあります。それは、表紙右上の「07-01」号となるべき所が、昨年のまま「06-01」号と1年戻ってしまいました。相変わらずの、校正ミスです。笑いながら訂正の程宜しくお願い申し上げます。発送してすぐに気づいたのですが、面倒なので訂正連絡を入れなかったら、早速に東京の犬飼氏より連絡がありました。スミマセン!。
コメント