石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2月10日は栃木県南河内町の石仏巡り

2007年02月10日 | Weblog
今日は、ホントッ暫くぶりに栃木県南河内町の石仏巡りに行きました。その南河内町の石仏は、まだ全域の三分の一位しか実見していないのですが、何となくこの地区へ入る機会がなかったからです。そこで、小山市の江戸前期迄の庚申塔調査が終わった息抜きとして、暫くぶりに南河内町を訪ねてみました。朝8時半から調査を始め、終了したのは午後3時半まで、昼食を取った時間の20分ばかり以外は、今日の素晴らしい天候に気分良くして碑塔を見ていました。
何しろ今日は、高曇りに加えて風もなく、絶好の写真撮影日と手拓日となり、夢中になって写真を撮り、拓本を取りました。
また、今日は暫くぶりに昭和55年庚申塔に出会いました。まだまだ、探せばあるものだと思いました。しかも、栃木県の昭和55年庚申塔としては最も大きいものでした。また、延文三年と板碑としては古くはないのですが、美しい板碑に出会って嬉しくなり、これも手拓しました。野にある板碑としては非常に満足のいく拓本が取れました。また、今日はものすごい文字数の宝篋印塔に出会い、これも夢中になって書き写しました。その他、今日はなぜか偈頌塔に多く出会えました。もっとも、その結果として拓本を多く取ることになったのですが…。
実は、この南河内町を暫くぶりに訪れた訳の一つに、隣接する小山市には沢山の江戸前期迄の庚申塔がありながら、なぜここには寛文年間の庚申塔が一基しかないのか、そしてなぜそれが栃木県では非常に数の少ない阿弥陀如来像容の庚申塔で、その後の延宝年間の庚申塔造塔が、なぜ見られないのか? もしかして、他のどこかに隠れているのではないかと思って、それを知りたくて訪れた訳です。しかし、残念ながら今日は享保年間までの庚申塔しか出会えませんでした。
いずれにせよ、今日の石仏巡りは自分なりに夢中になりながらも気分的にはのんびりした石仏巡りでしたが、結果的には総数で48基もの碑塔を調べることが出来ました。バンバンザイ!と、言ったところです。明日は、その手拓した拓本の解読と精査に加え、今日の石仏巡りの調査記録紙を清書などして、のんびり過ごそうと思っています。
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