石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

7月7日も、日光の庚申塔調査!

2007年07月08日 | Weblog
 気づけば、今日は七夕。しかも私の石仏調査簿番号では、頭が070707となるゾロ目の番号となり、何となく嬉しくなる。さて今日は、日光の中心ととも言うべき「神橋」を中心に調査する事にして、市営駐車場へ車を止める。予備の水を持ち、重たくなった手拓道具一式を抱えてまずは上鉢石町の磐裂神社。じっくりと腰を下ろして丁寧に調査開始。慶安三年塔は、特に交名を中心にして手拓する。ここの交名はお陰で完読する事が出来た。次に寛文十一年銘塔に入る。ここにも、慶安塔と同じく「汝等所行是菩薩道」で始まる偈文が記されているが、次の「漸漸修學悉當成佛」のところの「覺」のところがここでは「學」になっている。もう少しで間違えるところだった。ここの交名は三分の二ほどしか解読できないが、まあ良しとしよう。次に貞享四年銘塔の調査。ここでも交名を含めて順調に調査は進んで、まずは一休み。その一休みがいけなかった。うっかりして、この塔の日輪と種子の採寸を忘れてしまった。それに気づかぬまま、既に何回も調査してある隣の元禄十一年塔や昭和庚申年塔を又しても書き写して、終わった頃には12時近くになっていた。そこでお昼になったことと手拓した用紙が溜まってしまったので、一度駐車場へ戻ることにする。一基の日輪、種子の採寸が忘れていることも気づかずに…。
 朝8時半から12時まで、途中一度の休み以外は調査に熱中していたので流石に疲れた。駐車場の片隅で、大休止を兼ねた食事とする。----疲れすぎて食欲進まず、少し横になる----

 午後から、いよいよ最も人目に付く場所である神橋北側道路沿いの寛永十八年塔の調査に入る。これは、全体を手拓したかったが余りにも目立つ場所故に諦め、石文部分だけにする。墨入れ出来るまでの時間をイライラしながら過ごして、早々に終了。
 今日の最後の場所は、あの見るだけで充分な気分になる何とも汚い庚申塔の待つ四本龍寺へ急ぐ。何しろ今日は、既に四基の庚申塔精査が終えているので、気分は最高。早速、まずは何あれ碑塔の掃除から始まる。執拗な苔に悩まされながら、最初の二基は何とか手拓出来る状態になる。画仙紙を水張り終え、墨入れを待つ間に、残る二基の庚申塔全体に絡みついている樹木の除去から始めて周囲の草むしりまでする。そんなこんなで、ここにある四基の庚申塔掃除だけで2時間近く費やしてしまう。だんだん空模様も怪しくなり、周囲は薄暗くなってくるし、いつ雨が落ちてきてもおかしくない。その為に水貼りした画仙紙は少しも乾かず、少し焦ってくる。今日は、こんな事を予想して、偶然手に入れた湿拓用の油墨ではない、とんでもない目的使用外の特別に用意してきた、滅法水に強い墨を取り出して試しに叩いてみる。これは使える!。予想していた以上に、水に強いことが判り、いつもの小さなタンポに代えて、大きなタンポで力一杯叩き始める。既に時刻は午後4時を廻りだしたのと、雨が少し降り出したので、急ぎつつ益々リズミカルに力強く叩いて、何とか4時半に終了する事が出来た。しかし、万治2年塔は少し碑面の磨きが足りなかったようで不満足な手拓となって、交名が解読できない。この塔だけは、後日改めて碑面を磨いてから再手拓する事にして、雨傘をさして駐車場へ戻って帰宅する。勿論昨夜は、その手拓を眺めながら楽しい解読に過ごしたのは言うまでもない。
※今日の日曜日は、畑仕事に精を出しました。ジャガイモの収穫に数時間、スイカ畑などの草むしりに数時間。一日中曇り空でしたが、やはり大汗をかきました。今夜も、手拓した用紙を眺めてご機嫌な時間を過ごそうと思っています。
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