石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

7月21日の日光の庚申塔調査も雨!

2007年07月22日 | Weblog
朝起きると、宇都宮は曇り空。もしかして日光も、と期待して朝8時20分には浄光寺へ着いたが、そうそう甘い話しにならずに日光は雨だった。2週続けての雨の日光である。折角来たのだからと覚悟を決め、雨中の手拓を開始する。何しろこの浄光寺の庚申塔は、あと3基を手拓すれば終了するのだからと無理を承知で水貼りしたまではよいが全く乾かず、その後は何としても墨入れできる状態にはならない。そして待つこと3時間余、12時を過ぎても一向に画仙紙は濡れたままである。その間、少しばかり雨が止んだ時間もあったので、それらの庚申塔を記録用紙に記入したり、前回に写真が撮れなかった庚申塔の幾つかを撮影するも、何としても暇である。
 業を煮やして、12時半から無理に墨入れを開始する。そんなわけで、今回の手拓は全くの銘文解読用の拓本になってしまったが、これも今日のような雨中の手拓では良しとしよう。そして画仙紙を取り外すときに、余りの水分の多さで用紙は重く、一人ではがしたために大きな物は二つに破けてしまう。
 そんなこんなで、浄光寺を撤収したのは午後1時をとうに過ぎていた。もちろん、昼食はまだ。まずは昼食を取るために近くのストーンパーク駐車場へ向かう。このごろから雨足はまた強くなり、仕方なく車中での昼食となる。そしてせっかくここにいるのだからと、車を止めた脇に聳えている貞享年間と元禄年間の日光型庚申塔の掃除を行い、次の調査に備える。もちろん、手拓出来るような状態ではないので拓本取りは諦め、今度は次回のための碑塔掃除に他の庚申塔を訪ねようかとも考えたが、今日の所はこれで充分と時計はまだ3時にならないが早めの帰宅として日光を離れる。
 帰宅してから、浄光寺の文政年間の庚申塔、裏面にあった交名の記録忘れに気づく。もっとも、それを為すには狭い空間に入らなければならないので泥だらけになるのを覚悟しなければならず、少しばかり躊躇っていたために忘れてしまったのだが…。
 そんな訳で、次回も浄光寺から再度の追加調査となるだろう。そして磐裂神社や掃除したストーンパーク、清滝の庚申塔へと進む予定である。
※前回の石仏巡り写真をHPの方へ掲載しなかったので、今回は浄光寺の全12基を写真だけでご案内しようと思っていますが、それは今週中頃になるでしょう、タブン!
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