石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2009年9月6日も今市市の石仏巡りでした

2009年09月07日 | Weblog

 昨日の畑仕事は、普段の石仏巡りの何倍もの体力を消耗してしまい、一晩寝ただけでは元に戻っていないどころか、また痛さが増してきていた。しかし、朝起きてみると石仏巡りとして天候は申し分ないので、今市地区でも自宅から近い今市南部地域へ出かけることにする。そしてまず、腰の状態を確かめようと、宇都宮市と今市の境に当たる宇都宮市古賀志町の薬師堂へ立ち寄る。その結果、無理をしなければ何とか石仏巡りが出来そうなので、今回は遊び気分で石仏を見ることにした。その為、本当なら拓本を取りたい大型塔3基は後日の挑戦とした。
 今市地区として最初に入ったのは岩崎地区だが、その中でも岩崎観音堂周辺にある沢山の碑塔は未調査塔が多いので、こんな時こそのんびり調査しようとやってくれば、今日は地区の運動会がその脇の広場で行われて老若男女でごった返している。何となく、皆さんの目障りになりそうなので、数基を調査しただけで次回に譲り、少し離れた小代から長畑地区へと移動する。道沿いの碑塔をつまみ食いしながら、結局はこの方面へ来ると休憩&昼食場所として良く利用する長畑の木ノ峰観音堂へ行く。特に、この観音堂境内にある回国塔には沢山の石文が刻まれているので、その解読のためにも拓本が欲しかったが、最初に述べたように指をくわえて眺めただけである。この観音堂には延宝年間の庚申塔を始めとして沢山の碑塔が並んでいるが、それは今から10年程前に整理した物である。それ以前は、観音堂の周辺に無造作に転がっていて、台座と本体ももちろんその多くはバラバラになっていた。従って、その後に今に見るような姿にしたのは良いのだが、その台座は適当に据え付けられたものなので、そのほとんどは本体と台座は別物と理解しなければならない。しかし今ここを訪れて石仏調査をする人は、その当時の状態を知る由もないので、本体に石文がない場合はその適当に組み合わされた台座の銘文等を基本として記録されているのが現状である。従って、この観音堂の調査は、よくよくに本体と台座との関連性を熟慮しないととんでもない間違いを起こすだろう。
 それにしても、今が夏草の盛りである。それは、長畑からの帰り道は小倉地区へと入ったが、以前に碑塔の在処を確認している私でさえ、その場所へたどり着くには腰まで伸びている夏草をかき分けて進まなければならない始末で、そしてその場所へ着いたとしても、今度は碑塔の姿を見るためには周囲の草を踏みつぶさなければならない状態である。そんな事を何度か行っている内に「あ~あ、イヤだ嫌だ」となり、秋が終わりを告げてから来ようと、そんな草むらから頭だけを覗かしている碑塔の姿だけを見て、午後4時丁度に終了して帰宅してしまった。また特に今回は、午前中と午後の部によって、東向き碑塔と西向き碑塔の写真撮影には苦労した。それを解決するには、今回の石仏巡り地はその逆に回らなければならないと思っている。それにしても、今回は夏草に痛めつけられた石仏巡りだった。掲載した写真は、そんな中の一枚である。ここへ到達するだけでも大変で、これらの碑塔を調査するにはさらに草との格闘が待っている!。