石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2010年4月3日は田沼町(現。佐野市)の庚申調査でした

2010年04月04日 | Weblog

 やはり、この季節は里山の石仏巡りが最高と、先週から始めた栃木県国分寺町の石仏巡りを止めて、今は佐野市と合併した庚申塔の宝庫、田沼町へ行きました。田沼町も足利同様に一箇所で百基以上の庚申塔が祀られている庚申塔群は各所にあり、すでにそれらの場所へはこれまでに何度となく足を運んでいましたが、それら全部を調査しているかと言われると恥ずかしい限りで、いわゆる「良いところ取り」に終わっていました。そこで今月の新たな目標として、今回は田沼町閑間地区栗木内にある庚申塔群の実見できる全てを調査することになりました。といっても、その作業はひたすら埋もれていたりする庚申塔を掘り起こし、泥落しをしてから記録を取り、続いて写真撮影という単純作業の繰り返しです。そのため、帰宅してから整理してみたら、写真はあるものの記録なしや、記録時にサイズ忘れなど、全くドジな自分に一人で笑ってしまいました。
 それでも、一人で一日に103基を調査したのには自分でも驚いています。それは、余りにも天気が良すぎたので昼飯もそこそこにして庚申塔にへばりついたからだろうと、これまた苦笑です。そして午後も3時半頃には、余りにも多くの庚申塔を掘り起こしたので腰が痛くなり、100基の庚申塔が調査終えた段階で、残りは次回へと繰越にしました。田沼町町史の調べでは160基余りがあるとのことなので、その8割の130基くらいは現存していることとして、残りはあと僅かです。それでも、その後の見落としがないかの確認やら、銘文再確認に調査した碑塔との再確認を含めるとやはりあと一日はかかりそうです。
 ちなみに、上に掲載した写真はそんな庚申塔群の調査しやすい1コマと、下の写真のように地面に頭だけ出している庚申塔を掘り起こせば、こんな庚申塔が出てきますというものです。そんな訳で。次回もこの続きの調査となります。自分でも、馬鹿みたいなことをしていると自覚しているのですが、それでもこのような調査はいつか誰かがしなければならないと思っているので仕方がありません。
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