突然の、昨日からの涼しさ! ついつい、その涼しさに誘われて昨日は冬野菜としての白菜の種まきをしてしまいました。暫くぶりに、心地よい?汗をかきながらの農作業に腰の痛さも忘れるほどでした。今年の夏は、腰の痛みでろくに草取りもしなかった畑は雑草が伸び放題。特にスイカ畑は酷く、タネのついた雑草の穂先だけを緊急処置として切り取りました。いや~あ、それにしても今年はスイカを沢山食べました。毎日毎日、一人一個宛で食べても追いつかない有様でしたが、赤と黄色身のスイカを日替わりで食べ尽くし、それも昨日で最後の収穫を感謝しながら終えました。
さて、そんな昨日は今年最後のスイカを頬張りながら、これからの石造物調査について色々と思いました。特にそれは、ここ二ヶ月間一度も石仏巡りとしては外出せずに部屋に閉じ籠もっていたからなのだろうが、今までの石仏巡りについて反省するところ、大なるものがありました。その第一が、「石に刻まれている文字を疎か」にしたこと。それは、これまでにも私なりに他の人以上に文字のは気を遣っていたつもりなのだが、それでも過去の調査記録を見ると嘆かわしい物が沢山あります。第二に、「調査した数が気になった」こと。石造物調査は、その調査数ではなく調査した中身にあると自覚していたつもりだが、やはり「数量」という魔物に知らずして陥っていた感がなきにしもあらずでした。そんな「数量」は、結果論としてついてくる物だと認識しつつも…。第三に、石造物の調査対象を限定してしまっていたこと。確かに、神社仏閣にある附属物については等閑であったことは認めざるを得ないが、その他の石造物についても目がいっていなかったことに気づきました。従って「見えているのに観えず」、「読めるのに読まず」の石造物が、今こうして過去の調査値を振り返ると沢山あることに気づかされています。
そこで、これからの石造物調査は何よりも「一基づつ碑塔を大切に調査する事」、と覚悟を入れ直しました。特にそれは、今回のような大地震等の災害に遭えば、野に建っていた石塔類の多くは倒れそして信仰心の薄くなった今はその半分も元に戻すことなくなっています。それは、現在私が取り纏め中の「石幢」や「近世の大形宝篋印塔」関係石造物に言えることで、那須地方等の栃木県東北部では私が撮影した写真が最後の写真という例が少なくありません。百基が集まれば見事な物ですが、それも元々は一基づつの集大成。その一基毎を今以上に大切にしていこうと思っている。当然ながら、そうなるとそこに刻まれている文字は、その中でも最も大切にすべき物であって、今までのような、関心ある碑塔だけに限定せず、文字がある碑塔類はその文字1文字づつを大切にしていきたいと思っている。
嗚呼、それにしても腰がいたい。本来なら、今日は雨さえ降らなければ山地へ入って、今年の事前「マタタビ」調査(もちろん、秋に収穫する実の確認です)の予定だった。これも、山へ入ると益々性格が変貌する私のことだから、神仏が事故のないよう、そしてこれ以上腰が悪化しないよう留めてくれたのかも知れない。
いずれにせよ、ここへ掲載したアゲハチョウの脱皮し終えた写真のように(早朝に脱皮が始まり、飛び去ったのは夕方。まったく、それまでをのんびり観察していた私達は馬鹿だとつくづく思う)、これからの私の石造物調査は今までとはまた違って変わらなくてはならないと痛感している。
さて、そんな昨日は今年最後のスイカを頬張りながら、これからの石造物調査について色々と思いました。特にそれは、ここ二ヶ月間一度も石仏巡りとしては外出せずに部屋に閉じ籠もっていたからなのだろうが、今までの石仏巡りについて反省するところ、大なるものがありました。その第一が、「石に刻まれている文字を疎か」にしたこと。それは、これまでにも私なりに他の人以上に文字のは気を遣っていたつもりなのだが、それでも過去の調査記録を見ると嘆かわしい物が沢山あります。第二に、「調査した数が気になった」こと。石造物調査は、その調査数ではなく調査した中身にあると自覚していたつもりだが、やはり「数量」という魔物に知らずして陥っていた感がなきにしもあらずでした。そんな「数量」は、結果論としてついてくる物だと認識しつつも…。第三に、石造物の調査対象を限定してしまっていたこと。確かに、神社仏閣にある附属物については等閑であったことは認めざるを得ないが、その他の石造物についても目がいっていなかったことに気づきました。従って「見えているのに観えず」、「読めるのに読まず」の石造物が、今こうして過去の調査値を振り返ると沢山あることに気づかされています。
そこで、これからの石造物調査は何よりも「一基づつ碑塔を大切に調査する事」、と覚悟を入れ直しました。特にそれは、今回のような大地震等の災害に遭えば、野に建っていた石塔類の多くは倒れそして信仰心の薄くなった今はその半分も元に戻すことなくなっています。それは、現在私が取り纏め中の「石幢」や「近世の大形宝篋印塔」関係石造物に言えることで、那須地方等の栃木県東北部では私が撮影した写真が最後の写真という例が少なくありません。百基が集まれば見事な物ですが、それも元々は一基づつの集大成。その一基毎を今以上に大切にしていこうと思っている。当然ながら、そうなるとそこに刻まれている文字は、その中でも最も大切にすべき物であって、今までのような、関心ある碑塔だけに限定せず、文字がある碑塔類はその文字1文字づつを大切にしていきたいと思っている。
嗚呼、それにしても腰がいたい。本来なら、今日は雨さえ降らなければ山地へ入って、今年の事前「マタタビ」調査(もちろん、秋に収穫する実の確認です)の予定だった。これも、山へ入ると益々性格が変貌する私のことだから、神仏が事故のないよう、そしてこれ以上腰が悪化しないよう留めてくれたのかも知れない。
いずれにせよ、ここへ掲載したアゲハチョウの脱皮し終えた写真のように(早朝に脱皮が始まり、飛び去ったのは夕方。まったく、それまでをのんびり観察していた私達は馬鹿だとつくづく思う)、これからの私の石造物調査は今までとはまた違って変わらなくてはならないと痛感している。