今回は、午前中のみの石仏巡りとなりました。上記写真の鳥居は、鹿沼市村井町の胸形神社にあるものです。ここへは、先月に来ているのですが、今回は午前中のみの石仏巡りだったので、最後の休憩場所として再びここへやってきて広く且つ静かな山の中の駐車場でのんびり食事をすることにしました。その帰りに、前回に真心を計測した段階で写真撮影を忘れてしまったので、そのついでにこれを撮りました。
さて、そんな訳で今回はこの鳥居について少しだけ解説をいたしましょう。建立紀年銘としては、文政八乙酉如月建之とありますからそれほど古いものではありません。しかし、その柱に刻まれている石工の名前を見ると、これは「信州中伊奈郡野口村 蟹澤文左ェ門 同忠七」とある。つまり、鹿沼市では数少ない信州石工による作品です。特にこの中に見る「蟹澤 忠七」の名は、鹿沼市内では今宮町の今宮神社にある通称「飛び越えの獅子」なる狛犬にその名を見ます。また、野沢町の神明宮にある菊池教中揮毫の「男體山」碑にも、同じく蟹澤忠七の名があります。共に、素晴らしい作品です。そして時代的に見てみると、今回の鳥居に刻まれている「蟹澤文左ェ門」とは、忠七の親ではないかと推測されます。同様に、蟹澤の石工名は明治を以って終わりますので、この信州から来た石工は、今宮宿に住んでいたが忠七を以って後継者が途絶えたのだろうとも推測されます。
なお、この鳥居に見える為書きがいいです!右柱に「両御領大守御武運長久」。左柱に「五穀豊饒村内安全」とあります。その他に、石工としての名前の最後に「古賀志村 北条平右衛門」ともあります。この石工についても、おいおい調査してみたいと思っています。
さて、今回は午前中とのことで余り多くは調べられませんでした。それでもいつかは調査しなければと思っていた村井町公民館(薬師堂)に並んでいる碑塔を、写真撮影の難しさ(時間的に光線が合わない)を無視して記録中心に調べてきましたので、今週中にはその内容を別ホームページの方へ掲載しようと考えています。ここの所、仕事と趣味で非常にハードなパソコン作業連続で、特に右の肩と腕が腱鞘炎となりマウスを使うのが非常につらいので、それが直るまではパソコンに出来るだけ触れないようにしています。そして明日は雪とのこと、また雪かきをしなければならないかと、痛みが走る腕をさすりながら「嗚呼、早く春にならないかな」と、嘆いています。