今回も懲りず、栃木県鹿沼市の石仏巡りに出かけました。特に17日の朝は宇都宮市で-7度という冷え込みでしたので、朝早くから行っても寒いだけだと9時過ぎになっての出発でした。何しろ自宅から鹿沼市は近いので、車で20分も走れば、早くも今日最初の目的地である上殿町の押原神社へ到着。境内に奉納されている狛犬が余りにも風化が進んでいるので、今回は珍しくその狛犬の姿を写真に収めておくことにした。それから境内にある自然石白雲山碑や甲子塔を調べただけで、早くも10時になったのでコーヒーを入れて一休み。まあ今日はこんなのんびりペースでの石仏巡りにしようと思う。今回の目的は、上殿町と村井町の石仏巡りを終了させれば良いと考えているのだから‥。そこで午前中にささッと調べて終了とし、今度は街中の府所本町にある共同墓地へ行く。しかしその道路は狭く一方通行なので考え、その隣にある葬儀社へ行きその駐車場へ車を止めさせていただくことにする。了解を得たからには、のんびり調査が出来ると、墓地内にある汚れで汚くなっている碑を綺麗に水洗いしてあげる。墓参に見えられたご婦人やら一族揃っての法事墓参の方々に声を掛けられながら、見違えるほど綺麗になった碑塔を調査。度が過ぎて写真撮影に最適な時間を過ぎてしまい、1基だけはまったくの逆光となって写らない失敗に苦笑い。府所本町は、ここだけで終了。次は、隣町の下武子町へ行く。ここも共同墓地周辺にある石仏を調査すれば終わりとなるので、まずはその前に黒川の河川敷に車を置いて昼食とする。窓を閉めた車の中では暑いくらいだが、外ではやはり寒いので、窓を開けて温度調節をしながらののんびり食事タイム。川原では若者達が沢山遊んでいるのを眺めながら‥。さて食事後は、車の止める場所の無い共同墓地を含め二箇所を巡ることになるので車をどうしようかと考えた挙句、ここへ置いてのんびり歩いていくことにした。調査道具一式を入れたカバンを持ち、まずは団地の東側にある共同墓地から開始。やはり歩いて来た甲斐があり、今回ばかりは丁寧に墓域内を見て歩けたので、家畜等を中心にして収穫大なり。そして次の共同墓地は、少し離れているがまあ鼻歌でも歌いながら散策気分で行こうと歩き出す。その墓地内で、といっても竹林の中の昔の墓のイメージにピッタリの暗いイメージの墓息だが、そこで天明2年銘の「地蔵和讃供養塔(但し台座のみで上部に乗っていたであろうお地蔵様の姿はなし)に出会う。これはもうけものと、丁寧に水洗いしてから記録と写真を撮る。もちろんその他にもある十九夜塔等の碑塔を収録したのは言うまでも無い。どうせ歩いてきたのだから、帰りも同じ道を歩くのは面白みが無いと途中の山の中にある二荒山神社を訪ねたり、そこから少し北へ行った道路沿いにある道標付念仏供養塔を見たりして遠回りの道を選んでもとの黒川河川敷へ戻る。今日の石仏巡りは、既に3時になていたのでこの辺で終了とする。が、帰宅するには朝に比べると春のような暖かさなので293号線を選んで遠回りの道を走る。そしていつもその場所は午前中になってしまう酒野谷の馬頭観音自然石(安永5年銘)の写真を撮るためにさらに遠回りすることにした。そして念願の写真を手に入れてニコニコ。まだ時間があるので、また欲を出して今度は塩山町の星宮神社へ行くことにする。その場所は狭い山道を入った山中にある神社。ここへも無理して車で行くこともないと、途中に車を放置して歩いていく。もちろん、地元の方を含めてそこはまったくの無人地帯。これから芽吹くであろう木々に止まっている野鳥を観察しながらその本殿入り口に到着。その風景が、上記に掲載した写真で、そこにはご覧のように3体の石仏が並んでいる。もっとも、左端に見える地蔵尊の台座は別物で、石仏内容としては4基の石仏となる。また、右端に見える舟型光背石に見える如意輪観音像の上部には「アーンク」種子が刻まれているのが珍しい。紀年銘は享保十九年とある。西へ傾きだした太陽光線が、写真に撮るに最適な状態。嬉しくなって、ついつい何枚も写真を撮ってしまう。ちなみに他の台座を含めた3基は、光明真言念仏塔である。
そろそろ時計も3時半を過ぎたので、今日の石仏めぐりは本当にここまでとして、後は通いなれた道を通って帰宅する。