石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2014年7月10日、先週6日の石仏巡り報告

2014年07月10日 | Weblog

 去る7月6日は、暫くぶりに雨が降りそうもない空模様につき朝食後に急いで石仏めぐりの準備をし、栃木県氏家町と喜連川町へ向かう。最初に訪ねたのは、今から10年も前に調査した氏家町谷中の星宮神社近くにある馬頭観音塔。その碑陰に日支事変に従軍した当地の騎兵が偶然戦地であてがわれた馬が同郷の氏家町馬場の飼い馬だった。それからのいきさつが記されているもので、今回の氏家町石碑調査の一つとして拓本を残しておこうと思って訪ねた。脇を流れる田んぼの引き水をバケツに汲んできて丁寧に水洗い。見違えるような綺麗な石碑となった。その後の手拓は、その成果が現れて、細く浅い彫りながらまあまあの拓本となった。
 その後は喜連川町へ入り、5月に訪ねたまま二度目の調査に行きそびれていた専念寺さんへ行く。上記に掲載した碑文調査がその主目的である。今回も、前回同様にご住職御家族様の暖かいおもてなしで快適な調査が出来たことは言うまでもない。それにしても、今回も手拓前の石碑の苔落としに苦労する。ここでは最初に金属ブラシで丁寧に苔を削り取り、御隠居さんが冷たいジュースを差し入れに来て見て、「こんなにも綺麗になるものか」と驚くほどであった。その成果で、これもまあ満足できる拓本に仕上げることが出来た。そしてお昼。直ぐ近くの、お丸山公園の展望台にある駐車場でのんびり食事して、午後は同じ喜連川町の鷲宿地区へ向かう。この地区には明治時代に活躍した助産婦さんの石碑が2基ある。その1基は、地元の方の案内で容易く調査と手拓が出来たが、残りの1基は時間ばかりが経過して一向に見つからない。地元の方に、「明治時代なんて昔の人の事は今の私たちにはわからないよ」と笑われてしまった。仕方がない。今回は私と出会いたくないのだろうと諦め、次回に再度探索することにして帰宅する。それでも、今回は手拓した石碑が3基と手写した石碑が1基の合計4基の成果である。まずまずと、心置きなく次回の成果を期待する。