石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2014年08月16日は、栃木県氏家町の災害碑を見てきました

2014年08月17日 | Weblog

朝方のどうしようもない土砂降りの中を、一路氏家町を目指して4号線を北上。氏家町に入れば、その雨足は益々酷くなり、仕方なく途中の「さくら市ミュージアム」駐車場でトイレタイムとして一休み。そして少し小降りになったのを幸いと、氏家町中心部の桜野地区・八幡宮へ行く。境内外れにある近世宝篋印塔(過去に既に調査済み)の銘文再確認と、この周辺に天皇駐蹕碑があるらしいというので傘をさしながら探したが、どうも場所違いであることが判っただけだった。そうこうしているうちに雨は止み、本日の目的である昭和二十四年のキテイ台風により鬼怒川が決壊し、それを復旧した紀念碑を探しに戻る。多分、そんな石碑なので「決壊し復旧した場所の鬼怒川土手にあり、かなり目立つ大きな碑だろう」と予想してそれらしい鬼怒川土手沿いに探したが見つからない。ところで今日は旧盆の送り日。多くの地元の方が花を抱えて墓地へ向かう姿があり、早速尋ねてみれば、その場所は「氏家大橋から南側の土手上」と、一発で教えてもらえた。そして土手上に3メートル50センチもの大きさで聳える写真の碑にたどり着く。
碑文は、昭和25年に建立されたものだけに問題なく読める文字である。また、その銘文も大きさの割には文字数が少なく、もちろん手拓する気は毛頭ないので手写することにしたが、瞬く間に終了。これでまた、栃木県の災害碑が1基増えたと喜びつつ、余りある時間を土手に腰掛け、景色を眺めながら大休憩。
ところで、その碑の脇には説明看板が多数あるので暇に飽かせて見てみれば、そこにこの石碑の銘文が掲載されている。「本物の石碑の脇に、その銘文が掲載されているのも面白いものだ」と読んでみれば、いやはや肝心な意味での誤字が幾つかあるのに一人で大笑い。いかにもお役所仕事だが、こんないい加減な仕事でよく恥ずかしいと思わない、その神経太さに呆れつつ。その誤字の一つに「悲憤哀慟(ヒフンアイドウ)」の箇所の「慟」の文字が「働」の文字となっている。最も困ったのは、読めない文字が記されていること。それが次の文字で、

これは、何と読むのだろうかと考え込んでしまう。もちろん、石碑には「復旧(旧の文字は異体字使用)」と正しくある。石碑調査をしていながら、メッポウ漢字に弱い私だから当然ながら‥ウ~ム。
そして帰宅し、「旧」の異体字として探したが見つからず、いずれにしても初見の文字。だれか、その出典を御存知の方は諄諄と御教示ください。
なお、帰宅してから「氏家町史・近現代編」に出ているかと見てみれば、そこに掲載されている銘文もこの看板以上に誤字脱字があってまたまた大笑い。こんな、生意気なことをここへ書くと叱られそうだが‥。まあ、気に障りましたら御容赦ください。そして早速に訂正してください。これもまた、余計なお世話ということになるか‥。「過而不改是謂過矣」と言いますからね!

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