石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2014年10月18日も、先週の続きで栃木市の石碑調査でした

2014年10月19日 | Weblog

今回も、栃木市旭町第二公園内にある石碑の調査です。といっても、その内容は前回に調査済みなので、今回はその拓本取りに行きました。拓本サイズも、前回にしっかり計測してきたし、碑面もある程度きれいにしてきたので、今回は到着するや直ちに手拓開始です。この碑は、大木の下にあってしかも北向きということもあり、風も直射日光にも影響されないので最高の条件。相変わらず、半切の画仙紙を取り出して水張りし、そのまま墨入れ。篆額を抜かして三枚の画仙紙丁度で手拓が終了したが、今回は前回よりも丁寧に墨入れしたので些か時間がかかってしまって、終わったのは2時間半後。途中で休み休みしたので、まあ、仕方がないでしょう。そうそう、その篆額は「藤田高綱先生之碑」とある大正五年銘のもので(内容はメンドウなので省略)、撰文と揮毫者が「劉 須」という名に惹かれたから、どうしても拓本として残して置きたいと考えてのことです。その劉須という方は、漢文に秀でた人で、旧制栃木中学校の第二代校長を務めています。また、京都の大日本武徳会の第四代校長も務めた方で、勿論栃木県人ではありません。他に幾つかの碑文を叙していますが、その中の一つに当地からすぐ隣りの近竜寺墓域にある医業の傍ら門弟たちに学問を授けた立派な先生の第二代目「木塚先生墓碑」も撰文しています。ところで、その第一代目は、日高六郎の厳父である日高誠氏の撰文&揮毫墓碑。今日の石碑調査目的は、その墓碑調査を狙っていたのですが、写真だけならOKという事で目的を達せられず。特に、日高誠氏の書体は拓本として残して置きたかったのですが、致し方なしです。栃木市の残る調査したい碑は、あと一箇所のお寺さんにあるのですが、半分は調査を断られる可能性が強いので、この辺で栃木市の石碑巡りは終了としようと思っている。そして来週は、多分石碑調査には行かず、秋の一日を野山で過ごしタップリと秋の陽に染まってこようと思っている。

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