仕事で暫くぶりに当地へ来たついでに、仕事は午前中に済ませて午後からは宛も無く馬頭町へ入る。烏山町から那珂川沿いに進むと、道路沿いにご覧の石碑が目に入る。早速に路肩へ車を止めて眺めれば、昭和十一年の建立とある。原則として調査対象外の年号だが、念の為に銘文を読んでみるとその内容が素晴らしい。それは、当地松野地区は嘗て荒蕪不毛の地であったのを、近江の国蒲生郡下小房村から清酒釀造のためにやってきた外池宇兵衛が当時の領主であった水戸の徳川侯の徳としてこの地を農地にすることを決心した。そして文政から天保にかけて水路を開鑿し、それを更に子供の正西が受け継いで開拓に成功し、新たに農夫十数戸を招致し、完成後は家や農具まで無償で与えて耕作に従事させたという開拓した外池氏の頌徳碑であった。従って、題額は徳川国順が揮毫している。こうなると、私にとってこれは其の時代のこの地を語るには絶対に欠かせない内容となり、拓本と共に後世に残さなければならない石碑となった。題額を含む銘文サイズは高さが150センチで幅が80センチ。半切画仙紙では三枚と上部が少し足りない。めっきりと日の入りが早くなったこの季節ゆえ、昼食抜きで採らなければ帰宅が暗くなってしまう。そして3時間ばかり掛けて、何とか碑表だけは採り終えた。しかし、その裏面にはその新田開拓についての場所や広さに加えて、その新田開発と完成年号が詳細に記されている。ある意味、碑表よりの大切な内容であり、この碑陰は必ず必要な資料であるが、それを手拓するには時間オーバーである。その碑陰を採り終えるまでは資料完成とはいかないので、再び年内には必ず来ることを石碑に誓って、本当に遅い昼食を取ってから今回はここまでとして帰宅する。なお、撰文は文学博士の市河三喜であり、書は林 経明となっているが、石工の名は記載が無い。いずれにしても、碑表の銘文が清書を終えたらここへ掲載してみたいと思っている。
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