ようやく、今市地震関連碑の最後をここに掲載することが出来ました。これで、今年の夏季夏休み宿題がようやく完成です。いままで、ここへ掲載しました今市地震による横死者供養塔は、多分余り紹介されていないので、初めて見る方が多いのではないでしょうか。現在は、去る10月6日に、周囲を覆っていた草や笹を綺麗に刈り取りましたので、平ケ崎から千本木への峠道北側の道路沿い土手上にあるのがよく見えるはずです。ぜひ、今回の今市地震の最後を締めくくる意味でも関心ある方はご覧になってください。
さて、これでひと夏という長い期間かかった今市震災碑から解放されて、一息つけます。と言いつつ、先週13日には、1基は表面文字剥離部分の多い、明治35年9月のいわゆる足尾台風による今市市内の災害碑を調査してきましたが、その剥離部分の銘文推理に手こずりそうです。またもう1基は、文化14年建立の加工なし川原石に刻まれた今市市大室地区の水神塔。こちらは、数か所に難しい文字が刻まれていて、これまた銘文読みに悩みそうです。嗚呼、自業自得の世界にまたまた入り込んでしまいました。そろそろ、今市市から足を洗いたいのですが困ったものです。こうしてグズグズしていると、足利・佐野方面はまたあの嫌な赤城おろしの北西風に悩まされてしまいます。