石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

昨日11月15日は日光へ行き、明治7年に造立された融通念仏供養塔の写真を撮ってきました

2019年11月16日 | Weblog

最近、石碑ばかりの整理をしていたので飽き、時には栃木県内石仏のまとめでもしようかと思い、これまでに実査調査済の「栃木県内融通念仏塔」を(といっても、数はわずか5基だけです)と始めたのだが、すべての資料を並べてみると、栃木県では最も遅い明治7年建立の日光市興雲院境内に見る写真が見つからない。過去に、お寺さんを何度か尋ねているので写真が無いはずがないと、あちこち探したが見つからない。そこで、今年初めて日光の紅葉でも見ながら写真を撮ってこようと出かけた。道路は観光客の車で大混雑かと思いきや、意外にも簡単に興雲院様へ着いてしまった。伺ったところ、午前10時を過ぎると動けなく混雑となるとのこと。さて、奥様にお話しして写真を撮らせてもらったのが掲載した写真である。
さて、栃木県の数少ない融通念仏塔の初発は、現在の所は真岡市にある元禄十四年辛巳四月八佛生會日(1701)であり、銘文は「融通念佛万人回向佛」「妙法蓮華経万部読誦攸」他とあり、舟形光背石に阿弥陀如来坐像が彫ってある。そして2番目は岩舟町にある宝永三己丑八月吉祥日(1706)紀年銘で、銘文は「キリーク種子に融通大念佛連衆菩提」他、多数銘文があるもので、形態は笠付四角柱である。そして今回のは写真にあるように「融通念佛供養塔」とある。
そして早速、今日はその纏めにかかろうと思ったが何となく気が重くなり、ここの所の纏め中である馬頭町の外池家墓碑が二基残っているので、まずはそれを仕上げることにした。多分、明日にはここへ掲載出来るだろうと思っている。
それにしても、暫くぶりに冬の日光は寒かった。その他の日光での雑事を済ませてから、予定では庚申塔を一基だけ採拓するつもりだったが気温が低く寒風もあるのでその気力がなくなり、途中で昼食を食べて帰路についてしまった。そんな訳で午後2時には自宅へ着いてしまった。

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