遂に意を決し、恐らく私にとっては人生最後の栃木県内にある庚申塔群調査となる、気の遠くなるような行為に取り掛かりました。何しろ昭和55年前後に田沼町で調査した目録によると、その総数は1200基。これを独りで調査しようというバカげた行為です。ただそれだけなら日数を重ねればよいだけなのだが、何しろ当地の庚申塔の99%は倒壊、しかもその殆どは半ば土に埋もれています。更に、それらの多くは大小さまざまな川原石であるうえに、単に「庚申」と刻まれているものばかりなので、庚申塔に興味を持っている人でも無視するような状態です。それを黙々と周囲に生えている笹や小枝を切り取ってから掘り起こし、今度は抱きかかえて泥を落として1基ごとに銘文清書と写真撮影と、所在配置図記入を繰り返しては、以前よりもましな場所へ据えなおす作業。1時間をかけても成果は10基に満たない有様。腰は痛くなり足はつってくるはで、老体の身には悲鳴を上げるだけでした。それでも朝の9時から3時半まで、昼食を取っただけで作業をしたので63基を調べ上げることが出来ました。が、その夜から今日の朝まで足はコチコチに固まってしまい歩くのがやっと!
そこで気づきました。老人には一日で50基が限度であること。次回からは、それを厳守して原則毎週通い続けることにしました。上記の写真は、そんな庚申塔の調査が終えた一部を桜の大木の下に並べた姿です。
内心では、「誰か助けて!」と叫びたいところを我慢して、自分が好きで始めたのだから仕方がないだろうと、そんな馬鹿なことをやり遂げるつもりでいます。しかし、出かけた当日の現地が無風状態であれば、躊躇無く足利市や旧佐野市地区の石碑拓本採りにも出かけようという、あさましい考えでいる。いずれにしましても、ここ当分は、これまでの石碑調査から軸足を変えて、この庚申塔群の調査に入ります。何しろ、今まで誰も1基ごとの写真入りで調査した人がいない、また私以後の人でそれを為そうとする人も絶対に現れないと思うので、後世に残せるような作業と考えている。これを見て、私も現場を訪れたいと思う人がいましたら、原則として土曜、或いは日曜日には山の中で奮闘している私のため、差し入れ持参でお出かけください。(笑)