前回12月13日の高橋氏との庚申山の帰りに、次回は休んで、年末に忘年会というか慰労会を兼ねて集まろうとしていたのですが、11月後半から12月にかけて、山口氏が参加できなかったので、20日には是非とも行きたいということになり、またしても庚申山の鶉坂の方へ行きました。それには、私も少し訳アリで、13日で今回の庚申山調査は終わりにするつもりだったのですが、今までの調査したファイルを眺めていて、どうしても再調査したくなった庚申塔が出てきたのです。それは、表口から登った山頂直下の西側にある、深く埋もれていて掘る努力さえ萎えるような庚申塔なのだが、どうしてもそれを掘って紀年銘の有無を確認したくなったのです。そして早速に、本日の最初の調査として掘ることにしたのですが、何とも厄介な代物で、山口氏があれこれと奮闘努力した結果、何とか掘り出すことに成功。そして裏面を見てみると、そこには碑面一杯に大きな文字で「万延元庚申祀十一月日立」「石井龍太郎」とありました。勿論、旧田沼町史でも見逃している庚申塔銘文でした。やはり、気になる庚申塔は最後まで調査の努力を怠ってはならない見本のようなありさまで、今日はこれ1基だけで満足でしたが、山口氏が、さらに頂上にはもう一度精査したい庚申塔があるというので行き、やはりそこでも庚申塔の側面に見逃しの銘文を見つけたり、拓本を採っていながら文字の存在に気付かなかった庚申塔ありと嬉しい悲鳴を上げました。そんな中で、今回はその掘り出した庚申塔をご紹介いたします。掘り出す前の頭だけが前に傾いでいる姿からは想像もできない姿です。ちなみにサイズは高さが87.0、幅が48.0㎝もありました。その後は、鶉坂参道の銘文再確認やら、庚申塔周辺の伸びた竹などを刈って、午後2時半に今年最後の庚申山調査を終えて岐路に着きました。
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