栃木県における明治時代の、キリスト教に関する石碑は意外と見つからず、過去には大田原市で実現して以来全く出会えなかったが、今回は栃木県でも東寄り、どちらかと言うと水戸藩と縁のある馬頭町で大きな石碑に出会った。しかも、その石碑篆額の揮毫者は、明治期から大正にかけて書法に没頭して研究会まで立ち上げた乾 淡江(いぬい たんこう)であり、撰文者は日本正教会の聖書翻訳の中心人物となった一人の中井木菟麻呂(なかい つぐまろ)である。特に彼は、漢学者としてニコライやカサートキンを助けて日本正教会のために各種祈祷書の翻訳迄成し遂げた人物である。
いずれにしても、栃木県では明治期のキリスト教を知るには欠かせない人物としてもっと注目を浴びてもよい人物である。今回は、天候の具合もあって拓本は採れなかったが、その分を私としては不本意ながら了解を得ぬままに、真っ黒に汚れて篆額文字さえ読めなかった碑面を丁寧に水洗いして、掲載した写真のように綺麗にした。この墓地を守っているご子孫の方には叱られそうだが、偏に彼の偉業を世に知らしめたい一心で無断で行いましたこと、お叱り頂戴を覚悟です。もし、ご機嫌を損ねましたらご容赦ください。道路沿いのお宅で聞きましたが、ご自宅が判りませんでしたので…。また、本来なら読み下しを付けたかったのですが、漢字を拾い読みするだけでもある程度のことは分るかと、今回は省略させていただきました。拓本が採れました時には、再度検討いたします。
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