一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『死刑にいたる病』 ……脚本(高田亮)が素晴らしい白石和彌監督の傑作……

2022年05月10日 | 映画


白石和彌監督作品である。


前作『孤狼の血 LEVEL2』(2021年)のレビューで、
私は白石和彌監督について次のように記した。

『凶悪』(2013年)
『日本で一番悪い奴ら』(2016年)
『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017年)
『サニー/32』(2018年)
『孤狼の血』(2018年)
と傑作が続いたが、
『止められるか、俺たちを』(2018年)
以降は、イマイチの作品が続いている。
『凪待ち』(2019年)
『ひとよ』(2019年)
のレビューでも書いたが、
本作『孤狼の血 LEVEL2』も、私自身は、
白石和彌監督が「より高みへ昇るための過渡期の作品」と捉えているので、
今後の作品に期待したいと思う。


白石和彌監督は私の好きな監督ではあるのだが、
ここ数年はイマイチの作品が続いており、残念に思っていた。
はたして新作『死刑にいたる病』(2022年5月6日公開)はどのような作品になっているか?
期待と不安が入り交じった気持ちで、
公開直後に鑑賞したのだった。



鬱屈した日々を送る大学生・筧井雅也(岡田健史)のもとに、


世間を震撼させた連続殺人事件の犯人・榛村大和(阿部サダヲ)から1通の手紙が届く。


24件の殺人容疑で逮捕され死刑判決を受けた榛村は、
犯行当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、


中学生だった雅也もよく店を訪れていた。


手紙の中で、榛村は自身の罪を認めたものの、
最後の事件は冤罪だと訴え、犯人が他にいることを証明してほしいと雅也に依頼する。


独自に事件を調べ始めた雅也は、
想像を超えるほどに残酷な真相にたどり着くのだった……




結論から先に言うと、“傑作”であった。
それも、稀に見る“傑作”であったのだ。
では、何が良かったのか?


①違和感を抱かされたプロローグが、驚愕のエピローグに繫がっているなど、様々なシーンに伏線が張り巡らされており、それが終盤にかけて回収されていく物語構成の見事さ。

物語構成が優れているということは、脚本が優れているということである。
本作が“傑作”になった第一の要因は、この優れた脚本にあったと思う。
脚本を担当したのは、高田亮。
高田亮は私が高く評価している脚本家で、
『さよなら渓谷』(2013年)
『そこのみにて光輝く』(2014年)
『きみはいい子』(2015年)
『オーバー・フェンス』(2016年)
『裏アカ』(2020年)
『まともじゃないのは君も一緒』(2021年)
『さがす』(2022年)
など、彼が担当した映画は“傑作”“秀作”揃い。
映画『死刑にいたる病』は、
櫛木理宇の小説「死刑にいたる病」(「チェインドッグ」を改題)を脚色したもので、
これほどの“傑作”になったのは、原作の持つ力もあろうが、
私はやはり高田亮の脚本にあったと思う。
まず骨格となる脚本が優れていなければ“傑作”は生まれないということを、
改めて教えられたような作品であった。



②連続殺人事件の犯人・榛村と、大学生・雅也の人物造形、それを演じた阿部サダヲと岡田健史の演技の見事さ。

阿部サダヲが演じる榛村は、
誰からも好かれる愛想のよいパン屋の店主として社会に溶け込み、


ターゲットとなる十代の真面目そうな少年少女たちと信頼関係を築き、


そして最後には、かれらの爪を剥ぎ、いたぶり殺すシリアルキラー。


このシリアルキラーを、阿部サダヲは終始おだやかな表情で演じており、
恐さを倍増させる。


白石和彌監督の前作『孤狼の血 LEVEL2』(2021年)のレビューで、
上林成浩を演じた鈴木亮平を論じたときに、私は次のように記した。

「Yahoo!映画」のユーザーレビューなど見ると、
「鈴木亮平が恐すぎる」
「鈴木亮平の怪演」
「鈴木亮平の圧倒的な存在感」
など、鈴木亮平を持ち上げるコメントが多いが、
あの程度では、まだまだである。
シロウトさんは騙せても、
長く人生をやってきた人たちや、長く映画を見てきた人たちを騙すことはできない。



そして、本当に恐いのは、
あのような「いかにも」な男ではなく、
ニコニコしたおじさんやおばさんなのである。
そういう意味では、
定年間近に捜査一課に異動となり、
日岡の相棒として、ピアノ講師殺害事件の捜査にあたる瀬島孝之(中村梅雀)や、



その妻で、難病の子供を失った経験を持ち(という設定の)、
夫とコンビを組む日岡を手料理でもてなし、温かく迎え入れる瀬島百合子(宮崎美子)が、
真に恐い人物なのではないかと思われる。



白石和彌の傑作『凶悪』(2013年)で、
真に恐かったは、強面のピエール瀧ではなく、
そこらへんにいるおじさん風なリリー・フランキーだったのと同じように。



昔から、「恐いは優しい、優しいは恐い」とよく言われるが、
恐い顔の人には優しい人が多く、
優しくてニコニコしている人物ほど恐く、要注意なのである。(笑)



そう、本当に恐いのは、強面の人物ではなく、優しくてニコニコしている人物なのである。


舞台挨拶のときに、阿部サダヲは、
演じるうえでは「普通の人に見えるようにした」と語っていたが、
「普通の人に見えるように」演じているからこそ、
阿部サダヲが演じる榛村は本当に不気味であったし、
真の意味で恐い人物であった。
以前、このブログで、映画『行きずりの街』のレビューを、
……小西真奈美の黒い瞳が私をとらえて離さない……
とのサブタイトルを付して書いたのだが、
魅了された小西真奈美のことを、

最も印象的な部分は……やはり「目」である。
あの黒目だけのような目は、まるで少女漫画から抜け出てきたような感じがした。
あのような目をした女性を、私はこれまで見たことがなかったのだ。



と書いたのだが、(全文はコチラから)
阿部サダヲの目も黒目が大きく、なんだか吸い込まれそうな目をしている。
男でこんな目をしている人間はなかなかいない。



もうひとり主人公、大学生・雅也を演じた岡田健史も良かった。


雅也は、
教育熱心な父親により、幼い頃から自由な時間を得られずに勉強ばかりをしてきたが、
三流大学にしか入れず、そのことによって父親からは認められず、
鬱屈した毎日を送っている。


そんなとき、榛村から手紙がきて、
榛村と関わっていくことになるのだが、


なぜ榛村に深入りするようになるのかが最初は判らないが、
次第にそれが過去の出来事に繫がっていることが判明する。
刻々と変化していく心情、表情、仕草の表現、言葉遣いなどが秀逸で、
岡田健史の演技は素晴らしかったと思う。


俳優としてのデビュー作「中学聖日記」(2018年10月9日~12月18日、TBS)で、
教師(有村架純)と恋愛する男子中学生を演じたとき、
将来を心配するくらい演技は下手であったが、(コラコラ)
その後、私の心配をよそに段々と上手くなり、
本作では感心させられるくらいに巧くなっていた。



③脇役の人物造形、それを演じた俳優たちの演技の見事さ。

謎の長髪の男・金山一輝を演じた岩田剛典。


長髪の青年が、
三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE及びEXILEのメンバーで、
俳優でもある岩田剛典であることを知って、ちょっと驚いた。


爽やかな岩ちゃん(がんちゃん)はそこには居ず、
謎めいた陰鬱そうな男がそこに佇んでいた。
白石和彌監督は、オファーの経緯を、

普段はスーパースターですが、岩田さんがお芝居をしている姿を見て、どんな役でもできるんだろうなって。金山の役はホントに難しい役どころなのですが、思いきってお願いしてみました。

と語っていたが、
本作によって、役の幅がぐんと広がったように感じた。



雅也(岡田健史)の母・筧井衿子を演じた中山美穂。


抑圧的な夫の顔色を常に伺い、自分では何も決められない主体性のない性格の女性で、
雅也も知らないある秘密を抱えてる……という役柄。
中山美穂の映画出演作では、
ホイチョイ・プロダクション三部作のひとつ『波の数だけ抱きしめて』(1991年)
岩井俊二監督の名作『Love Letter』(1995年)
佐賀県の厳木駅でもロケされた竹中直人監督『東京日和』(1997年)
などでの若く美しい姿を思い出すが、
あのミポリンも50代となり、母親役や、人生の機微を感じさせる役柄が増えてきた。
本作では、「雅也も知らないある秘密」というのが重要な鍵となっており、


ある思いを秘めた母親を繊細に演じていて感心させられた。



加納灯里を演じた宮﨑優。


雅也(岡田健史)とは中学の同級生で、
偶然同じ大学に通う雅也が、いつもひとりでいることを気にかけ、
話しかけてくれる女性という役柄。


こう書くと、それほど重要な役には思えないであろうが、
驚いたことに、後半、灯里が存在感を増してきて、
ついにラストで観客を恐怖におとしいれるのである。
本作で初めて宮﨑優という女優を知ったが、(というか認知したが)


灯里が存在感を増してくると同時に、
宮﨑優という女優の存在感も増してきて、


私にとっては忘れられない女優となった。


2000年11月20日生まれの21歳(2022年5月現在)とのことだが、
今年は多くの映画賞で新人賞候補となるに違いない。



“赤ヤッケ”の女を演じた岩井志麻子。


榛村(阿部サダヲ)が冤罪を主張する殺害事件の現場となった山の所有者で、
雅也に、
「何度も同じ人物が現場に来ているのを見た」
と、重要な証言をする女性の役で、




〈見たことのない女優だが、好い演技をするな~〉
と思っていたら、
それが岩井志麻子であった。(笑)


作家時代、コメンテーター時代の顔はなんとなく憶えていたが、
最近の顔は知らなかったので、驚嘆した。
岩井志麻子には、奇行とか変人のイメージがあったので、
普通の人を普通に演じているのに大層驚いた。
岩井志麻子には、
〈今後も女優として活躍してもらいたい……〉
と、心底思う。


その他、
昔の榛村(阿部サダヲ)を知る人物で、
取材をする雅也に衝撃の事実を告げる男・滝内を演じた音尾琢真、


榛村(阿部サダヲ)の家の隣人で、
「今逃げてきたら匿ってしまうかもしれない」
と雅也に語るほど榛村を好ましい人物だと思っていた地元の農夫を演じた吉澤健、


榛村(阿部サダヲ)の担当弁護士で、
事件について訊きにきた雅也(岡田健史)に、
アルバイト契約させた上で、調査資料の閲覧を許す佐村を演じた赤ペン瀧川、


最後の殺人事件の被害者で、
榛村(阿部サダヲ)が殺害したとされる24人の被害者のうち、
高校生ではなかった唯一の女性・根津かおるを演じた佐藤玲、




雅也(岡田健史)の厳格で無口な父・筧井和夫を演じた鈴木卓爾、


事件を調べる雅也(岡田健史)の前にたびたび現れる謎の男・金山(岩田剛典)の元同僚・相馬を演じたコージ・トクダ、


雅也(岡田健史)と同じ大学に通う学生で、
灯里(宮﨑優)のいるグループで幅を利かせており、
雅也を馬鹿にしたような態度を取るクラタを演じた大下ヒロトなどが好演しており、


本作を“傑作”へと押し上げていた。



④それら俳優たちをキャスティングし、演出した白石和彌監督の手腕の見事さ。

遅くなったが、白石和彌監督も褒めなければならないだろう。


ここ数年の作品は、極私的に、
「より高みへ昇るための過渡期の作品」と捉えていたが、
本作『死刑にいたる病』によって、やっと、
これまでよりも高く飛翔したように感じた。
ぐっと屈んでいた分、より高く昇ったような気がした。
それほどの“傑作”であった。


この手の作品を受け付けない人々も必ず一定数はいるもので、
万人向けとは言えないが、
いかにも白石和彌監督らしい作品と言えるし、
白石和彌監督にしか生み出せない作品とも言える。
今後の白石和彌監督作品にも大いに期待したいと思う。



榛村(阿部サダヲ)の犯行場所となる“燻製小屋”や、


小屋の近くの水門がある風景などが、


(こう言っては何だが)とても詩情豊かで、文学的であったし、
私の好きなポン・ジュノ監督作品『殺人の追憶』に通じるものがあったように感じた。


何度でも見たいと思ったし、
見る度に新しい発見がある映画であるような気がした。


こんな作品に出合えることは、本当に稀なことだ。

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