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私は、2016年(平成28年)12月1日に、酒をやめた。
そのことを、昨年(2019年)11月20日に、このブログに書いた。
酒は大好きなので、長年呑み続けてきた。
父が鹿児島県出身で、私には薩摩隼人の血が流れているということもあって、
芋焼酎をこよなく愛し(それにビールも)、
芋焼酎とビールの晩酌は毎日欠かしたことがなかった。
〈煙草はやめることはできても、酒はやめることはできない!〉
と思っていた。
だが、60歳を過ぎ、人生の残り時間を考えるようになってからは、
〈酒を呑んでいる時間さえ、もったいない……〉
と思うようになった。
年齢もあろうが、酒を呑むと、すぐ眠くなる。
なにかをする意欲がなくなる。
酔って心地よくなり、気持ちよく眠れることが、酒の効用であろうが、
〈人生の残り時間を、そのことの繰り返しに使ってよいものか……〉
と考えるようになった。
死ぬまでに読みたい本は山ほどある。
死ぬまでに見たい映画も山ほどある。
しかも、それらは、新作が毎日誕生しているのである。
時間はいくらあっても足りないのだ。
人生の残り時間が少なくなってきている今、
〈呑気に酒など呑んでいる場合ではない!〉
と思うようになり、
62歳の12月に、ついに禁酒に踏み切った。
以来、3年間、一滴の酒も呑んでいない。
酒をやめて、良かったことは、いくつもある。
酒を呑んでいたときは、
まず、つまみを食べながら酒を呑み、その後、普通の食事をした。
だから、食べる量が多く(つまみ+食事)、自然と体重も増加した。
だが、酒をやめてからは、つまみを食べなくなったので、食べる量が減った。
よって、体重も減った。
健康診断の数値が良くなった。
特に、γ-GTPなどの肝機能の数値が良くなり、
ほとんどが正常範囲に収まった。
酒をやめて、酩酊している時間がなくなり、
24時間、しらふ状態となり、
活動時間が増えた。
読書時間が長くなり、鑑賞する映画の本数が多くなり、登山の回数も増えた。
至福の時間が増加した
酒をやめて、プレミアム焼酎などを買うことがなくなり、支出が減った。
経済的な面でもメリットが大きかった。
禁煙に成功したときにも思ったことだが、
自分に自信が持てるようになった。
意志薄弱で、何事も長続きしなかった自分が、
禁酒に成功したことで自信が持てるようになったことは、
禁酒の大きな効用だと思う。
その他にも、
配偶者に(いろんな意味で)迷惑をかけなくなった……など、
酒をやめて良かったことは、数限りなくある。
そんな私なので、町田康の
『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(幻冬舎・2019年11月6日刊)
という本を見かけたとき、
即座に、
〈読んでみたい!〉
と思った。
【町田康】(まちだ こう)
1962年1月15日、大阪府生まれ。
町田町蔵の名で歌手活動を始め、
1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。
俳優としても活躍する。
1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、
同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。
以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、
2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、
2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、
2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、
2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。
他の著書に『夫婦茶碗』『猫にかまけて』『浄土』『ギケイキ』『スピンク日記』『餓鬼道巡行』『リフォームの爆発』など多数。
町田康といえば、
本のサブタイトルで自ら名乗っているように“大酒飲み”のイメージがあり、
〈おっ、いよいよ町田康も酒をやめたか……〉
と、感慨深いものがあった。
タイトルの「しらふで生きる」という言葉にも魅力があった。
で、読んでみることにしたのだった。
ある日、具体的に申せば平成二十七年十二月末日、私は長い年月、これを愛し、飲み続けた酒をよそう、飲むのをやめようと思ってしまったのである。(10頁)
私が酒をやめる丁度1年前に、町田康も酒をやめていたのだ。
ちょっとビックリ。
30年間、毎日飲み続けた酒を、何故やめようと思ったのか?
もっともわかりやすく、誰もが先ず思いつき、そして納得のいく考え、理由は、医師にとめられた、謂うところのドクターストップ、ってやつだろう。(13頁)
というのは表向きの理由で、
本当の意味で、酒をやめた理由が自分でも分らない。
大伴旅人の「酒を讃(ほ)むる歌十三首」のひとつ、
生者遂にも死ぬるものにあれば今世なる間は樂しくをあらな
(どっちみちいつか死ぬんだから今が楽しけりゃそれでいいじゃん 町田康訳)(16頁)
を信条に酒を飲み続けてきた町田康であったからだ。
「なぜ酒をやめたのか」という問いに対して、取りあえずいまは、「気が狂っていたからだ」と答えて先に進むしかない。(24頁)
人生は本来楽しいはず、というのは幻想で人の一生はお釈迦さんが言う通り、苦しみに充ちているんじゃないの(33頁)
酒の楽しみは人生の資産でなく、楽しみと呼んでいるものは実は負債そのものであった、(40頁)
酒をやめる方法として、信仰、禁酒会、暴力、嫌酒薬などを思考するが、
いずれも不調で、考えがまとまらない。
このエッセイの中盤は、哲学的思考の堂々巡りだ。
それは、目次のタイトルを見ても判る。
《人生は本来楽しいものなのか? 苦しいものなのか?》
《飲酒とは人生の負債である》
《肉体の暴れを抑制する方法を考える》
《禁酒会の連帯感で酒はやめられるのか?》
《酒を飲みたい肉体の暴れは肉体で縛る》
《嫌酒薬は苦しみだけをもたらす》
などなど。
故に、このエッセイの中盤は、正直(私にとっては)それほど面白くない。
面白くなってくるのは、終盤で、
著者自身の「酒を断った精神的変化」を述べるあたりから。
平成27年12月末日に断酒したものの、すぐに正月がやってきた。
すぐに酒の誘惑にかられるが、なんとか三が日をやり過ごす。
そして三か月が経過する。
禁酒にとって三か月というのは二つの点で大きな意味を持つ。(184頁)
ひとつは、酒のことを考えている時間が次第に短くなっていくということ。
もうひとつは、三か月の長きに亘ってただの一滴も酒を飲まなかったという自信や達成感が生まれるということ。
そして、半年が経ち、一年が経過したとき、やっと「酒をやめた」と周囲に明確に言うようになる。つまり、禁酒してから一年後に、やっと「禁酒宣言」をしたのだ。
それまでは、いつ飲酒を再開するかもしれないという恐怖があったのかもしれない。
禁酒による利得を整理すると、
①ダイエット効果
②睡眠の質の向上
③経済的な利得
でありいずれも素晴らしき利得であると言えるが、禁酒の利得はこれにとどまらないので、さらに申し上げると前に少し言った、脳髄のええ感じ、というのがある。
どういうことかというと、これは仕事をしているとき、或いは、なにかについて考えているときに実感するのだが、酒を飲んでいたときに比べて考えるひとつびとつのことが聯関するというか、ひとつのこととまた別のひとつのことがスコッと繋がったり、或いは、ひとつのことの、また別の一面に気がつく、といったことが脳髄において起こり始めた。(203頁~204頁)
脳髄の性能を最大限に発揮できるようになり、
みるみる仕事が捗るようになったという。
なので、
禁酒による利得は、最終的に、
①ダイエット効果
②睡眠の質の向上
③経済的な利得
④脳髄のええ感じによる仕事の捗り
となったのである。
だが、この四つの利得があったからといって、
幸福を得ることができた訳ではない……と著者は言う。
さらに、
禁酒を善とし、或いは正とし、
飲酒を悪とし、或いは邪として、
酒徒を論難したり排撃したりするのはやめてほしい……(216頁)
と述べる。
人間の中には善も悪も正も邪も同時に存在している。
それをば、自分の属する側を善とし、悪を討ち滅ぼすことは善行、とすると人間と人間の間に隔てが生じ、その隔てが争いと混乱を招来するからである。(216頁)
とも。
そして、
酒を飲まないからといってあまり賢くない人が賢くなる訳ではない。けれども酒を飲むと賢い人が阿呆になる。そして阿呆はもっと阿呆になる。どうやらそんなことのようだ。(219頁)
と、結ぶ。
この本を読んで、もっとも印象に残った言葉は、
酒をやめたと言いしばしば酒徒から受ける問いに「それで人生寂しくないですか?」というのがあるがそんなことはない、なぜなら、人生とはもともと寂しいものであるからである。(214頁~215頁)
酒を飲んでも飲まなくても人生は悲しい。
ならば飲まずにその悲しみを味わおう……とは、
なんと潔い言葉だろう。
人間というものは、悲しく寂しく閉じているもの……
だからこそ歌や文学が存在するのだ。
私の場合、町田康よりも10年以上長く酒を呑み続けてきたが、
町田康のような“大酒飲み”ではないし、ましてや“アル中”でもない。
酒を呑むことによって得られる酒の効用も十分に承知している。
断酒ではなく、禁酒なので、
時期がきたらまた飲酒を再開するかもしれない。
たぶん、
〈もう十分に生きた!〉
と思ったとき、また酒を呑み始めるような気がする。
それまで(やりたいことをやり尽くすまで)は、
〈しらふで生きたい〉
と思う。
今のところ、町田康が謂うところの、
「脳髄のええ感じ」が続いており、
毎日が楽しくて仕方がない。
毎日、頭の中がクリアで、何事も新鮮に感じられ、
感覚が十代に戻ったように鋭敏になっている。
〈このヒリヒリするような感覚をずっと持続できれば……〉
今はそう思っている。
私は、2016年(平成28年)12月1日に、酒をやめた。
そのことを、昨年(2019年)11月20日に、このブログに書いた。
酒は大好きなので、長年呑み続けてきた。
父が鹿児島県出身で、私には薩摩隼人の血が流れているということもあって、
芋焼酎をこよなく愛し(それにビールも)、
芋焼酎とビールの晩酌は毎日欠かしたことがなかった。
〈煙草はやめることはできても、酒はやめることはできない!〉
と思っていた。
だが、60歳を過ぎ、人生の残り時間を考えるようになってからは、
〈酒を呑んでいる時間さえ、もったいない……〉
と思うようになった。
年齢もあろうが、酒を呑むと、すぐ眠くなる。
なにかをする意欲がなくなる。
酔って心地よくなり、気持ちよく眠れることが、酒の効用であろうが、
〈人生の残り時間を、そのことの繰り返しに使ってよいものか……〉
と考えるようになった。
死ぬまでに読みたい本は山ほどある。
死ぬまでに見たい映画も山ほどある。
しかも、それらは、新作が毎日誕生しているのである。
時間はいくらあっても足りないのだ。
人生の残り時間が少なくなってきている今、
〈呑気に酒など呑んでいる場合ではない!〉
と思うようになり、
62歳の12月に、ついに禁酒に踏み切った。
以来、3年間、一滴の酒も呑んでいない。
酒をやめて、良かったことは、いくつもある。
酒を呑んでいたときは、
まず、つまみを食べながら酒を呑み、その後、普通の食事をした。
だから、食べる量が多く(つまみ+食事)、自然と体重も増加した。
だが、酒をやめてからは、つまみを食べなくなったので、食べる量が減った。
よって、体重も減った。
健康診断の数値が良くなった。
特に、γ-GTPなどの肝機能の数値が良くなり、
ほとんどが正常範囲に収まった。
酒をやめて、酩酊している時間がなくなり、
24時間、しらふ状態となり、
活動時間が増えた。
読書時間が長くなり、鑑賞する映画の本数が多くなり、登山の回数も増えた。
至福の時間が増加した
酒をやめて、プレミアム焼酎などを買うことがなくなり、支出が減った。
経済的な面でもメリットが大きかった。
禁煙に成功したときにも思ったことだが、
自分に自信が持てるようになった。
意志薄弱で、何事も長続きしなかった自分が、
禁酒に成功したことで自信が持てるようになったことは、
禁酒の大きな効用だと思う。
その他にも、
配偶者に(いろんな意味で)迷惑をかけなくなった……など、
酒をやめて良かったことは、数限りなくある。
そんな私なので、町田康の
『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(幻冬舎・2019年11月6日刊)
という本を見かけたとき、
即座に、
〈読んでみたい!〉
と思った。
【町田康】(まちだ こう)
1962年1月15日、大阪府生まれ。
町田町蔵の名で歌手活動を始め、
1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。
俳優としても活躍する。
1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、
同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。
以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、
2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、
2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、
2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、
2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。
他の著書に『夫婦茶碗』『猫にかまけて』『浄土』『ギケイキ』『スピンク日記』『餓鬼道巡行』『リフォームの爆発』など多数。
町田康といえば、
本のサブタイトルで自ら名乗っているように“大酒飲み”のイメージがあり、
〈おっ、いよいよ町田康も酒をやめたか……〉
と、感慨深いものがあった。
タイトルの「しらふで生きる」という言葉にも魅力があった。
で、読んでみることにしたのだった。
ある日、具体的に申せば平成二十七年十二月末日、私は長い年月、これを愛し、飲み続けた酒をよそう、飲むのをやめようと思ってしまったのである。(10頁)
私が酒をやめる丁度1年前に、町田康も酒をやめていたのだ。
ちょっとビックリ。
30年間、毎日飲み続けた酒を、何故やめようと思ったのか?
もっともわかりやすく、誰もが先ず思いつき、そして納得のいく考え、理由は、医師にとめられた、謂うところのドクターストップ、ってやつだろう。(13頁)
というのは表向きの理由で、
本当の意味で、酒をやめた理由が自分でも分らない。
大伴旅人の「酒を讃(ほ)むる歌十三首」のひとつ、
生者遂にも死ぬるものにあれば今世なる間は樂しくをあらな
(どっちみちいつか死ぬんだから今が楽しけりゃそれでいいじゃん 町田康訳)(16頁)
を信条に酒を飲み続けてきた町田康であったからだ。
「なぜ酒をやめたのか」という問いに対して、取りあえずいまは、「気が狂っていたからだ」と答えて先に進むしかない。(24頁)
人生は本来楽しいはず、というのは幻想で人の一生はお釈迦さんが言う通り、苦しみに充ちているんじゃないの(33頁)
酒の楽しみは人生の資産でなく、楽しみと呼んでいるものは実は負債そのものであった、(40頁)
酒をやめる方法として、信仰、禁酒会、暴力、嫌酒薬などを思考するが、
いずれも不調で、考えがまとまらない。
このエッセイの中盤は、哲学的思考の堂々巡りだ。
それは、目次のタイトルを見ても判る。
《人生は本来楽しいものなのか? 苦しいものなのか?》
《飲酒とは人生の負債である》
《肉体の暴れを抑制する方法を考える》
《禁酒会の連帯感で酒はやめられるのか?》
《酒を飲みたい肉体の暴れは肉体で縛る》
《嫌酒薬は苦しみだけをもたらす》
などなど。
故に、このエッセイの中盤は、正直(私にとっては)それほど面白くない。
面白くなってくるのは、終盤で、
著者自身の「酒を断った精神的変化」を述べるあたりから。
平成27年12月末日に断酒したものの、すぐに正月がやってきた。
すぐに酒の誘惑にかられるが、なんとか三が日をやり過ごす。
そして三か月が経過する。
禁酒にとって三か月というのは二つの点で大きな意味を持つ。(184頁)
ひとつは、酒のことを考えている時間が次第に短くなっていくということ。
もうひとつは、三か月の長きに亘ってただの一滴も酒を飲まなかったという自信や達成感が生まれるということ。
そして、半年が経ち、一年が経過したとき、やっと「酒をやめた」と周囲に明確に言うようになる。つまり、禁酒してから一年後に、やっと「禁酒宣言」をしたのだ。
それまでは、いつ飲酒を再開するかもしれないという恐怖があったのかもしれない。
禁酒による利得を整理すると、
①ダイエット効果
②睡眠の質の向上
③経済的な利得
でありいずれも素晴らしき利得であると言えるが、禁酒の利得はこれにとどまらないので、さらに申し上げると前に少し言った、脳髄のええ感じ、というのがある。
どういうことかというと、これは仕事をしているとき、或いは、なにかについて考えているときに実感するのだが、酒を飲んでいたときに比べて考えるひとつびとつのことが聯関するというか、ひとつのこととまた別のひとつのことがスコッと繋がったり、或いは、ひとつのことの、また別の一面に気がつく、といったことが脳髄において起こり始めた。(203頁~204頁)
脳髄の性能を最大限に発揮できるようになり、
みるみる仕事が捗るようになったという。
なので、
禁酒による利得は、最終的に、
①ダイエット効果
②睡眠の質の向上
③経済的な利得
④脳髄のええ感じによる仕事の捗り
となったのである。
だが、この四つの利得があったからといって、
幸福を得ることができた訳ではない……と著者は言う。
さらに、
禁酒を善とし、或いは正とし、
飲酒を悪とし、或いは邪として、
酒徒を論難したり排撃したりするのはやめてほしい……(216頁)
と述べる。
人間の中には善も悪も正も邪も同時に存在している。
それをば、自分の属する側を善とし、悪を討ち滅ぼすことは善行、とすると人間と人間の間に隔てが生じ、その隔てが争いと混乱を招来するからである。(216頁)
とも。
そして、
酒を飲まないからといってあまり賢くない人が賢くなる訳ではない。けれども酒を飲むと賢い人が阿呆になる。そして阿呆はもっと阿呆になる。どうやらそんなことのようだ。(219頁)
と、結ぶ。
この本を読んで、もっとも印象に残った言葉は、
酒をやめたと言いしばしば酒徒から受ける問いに「それで人生寂しくないですか?」というのがあるがそんなことはない、なぜなら、人生とはもともと寂しいものであるからである。(214頁~215頁)
酒を飲んでも飲まなくても人生は悲しい。
ならば飲まずにその悲しみを味わおう……とは、
なんと潔い言葉だろう。
人間というものは、悲しく寂しく閉じているもの……
だからこそ歌や文学が存在するのだ。
私の場合、町田康よりも10年以上長く酒を呑み続けてきたが、
町田康のような“大酒飲み”ではないし、ましてや“アル中”でもない。
酒を呑むことによって得られる酒の効用も十分に承知している。
断酒ではなく、禁酒なので、
時期がきたらまた飲酒を再開するかもしれない。
たぶん、
〈もう十分に生きた!〉
と思ったとき、また酒を呑み始めるような気がする。
それまで(やりたいことをやり尽くすまで)は、
〈しらふで生きたい〉
と思う。
今のところ、町田康が謂うところの、
「脳髄のええ感じ」が続いており、
毎日が楽しくて仕方がない。
毎日、頭の中がクリアで、何事も新鮮に感じられ、
感覚が十代に戻ったように鋭敏になっている。
〈このヒリヒリするような感覚をずっと持続できれば……〉
今はそう思っている。