またまた雨の日曜日。
金曜日の夜から長女と孫が遊びにきている。
雨の日もまた楽し……である。
佐賀新聞に、
「西村雄一郎のシネマトーク」
という、私の愛読しているコラムがある。
連載30年を超え、
新聞単独筆者連載の長期記録を更新中の名物コラムで、
最新の映画、
懐かしの映画、
様々な映画を論じ、
教えられることの多いコラムである。
西村雄一郎氏は、
佐賀市在住のノンフィクション作家、映画・音楽評論家。
1951年、佐賀市生まれ。
早稲田大学第一文学部演劇科を卒業後、『キネマ旬報』パリ駐在員。
帰国後、映像ディレクターとしてビデオCM、ビデオクリップを演出。
1985年から古湯映画祭(佐賀市富士町)の総合ディレクターを務め、
その功績により1990年に「佐賀新聞文化奨励賞」受賞。
2001年公開映画『いのちの海』で脚本を初執筆(石堂淑朗と共作)。
2003年にオープンした「映像ミュージアム」(埼玉県川口市)の総合監修を担当。
現在、佐賀大学で教鞭をとる。
著書に、
『映画に学ぶビデオ術』(ソニー・マガジンズ)
『黒澤明 音と映像』(立風書房)
『巨匠のメチエ・黒澤明とスタッフたち』(フィルムアート社)
『一人でもできる映画の撮り方』(洋泉社)
『シネマ・ミーツ・クラシック』(音楽之友社)
『映画でクラシック!』(新潮社)
他、多数。
この西村氏は、
佐賀県で毎年催されている「古湯映画祭」や「唐津焼の里映画祭」で、
ゲストの俳優や監督などを招いてのシンポジウムで司会をされている。
佐賀新聞の昨日(11月5日)のコラムで、
昨年の古湯映画祭における満島ひかりのエピソードを次のように紹介されていた。
昨年の9月、古湯映画祭に『悪人』(2010年)のゲストとして参加していた満島ひかりと宿が一緒だった。朝食の時、彼女は「滝口康彦さんの文学碑を見たい」と言う。これから博多駅で新幹線に乗り、京都に直行、そこで次回作の衣装合わせをするというのだ。その作品は、滝口原作の『異聞浪人記』の映画化だという。早速、映画祭の事務局に車の手配をさせ、文学碑のある多久市の西溪公園に回ってもらった。
なんと、あの満島ひかりが、
わが町の西溪公園にある滝口康彦の文学碑を見に来たというのだ。
滝口康彦の文学碑については、私のブログ(10月23日)で紹介したばかりだが、
まさかあの文学碑を見に、
忙しいスケジュールの合間を縫って、
満島ひかりがわが町を訪れていたとは……
驚くと同時に、大いに感心し、感動した。
映画『一命』の撮影に入る前に、原作を読み、
原作者である滝口康彦についても関心を持ったのであろうが、
知られざる時代小説作家の暮らした田舎の小さな町を訪ね、
文学碑に詣でるとは、すごい女優魂だと思った。
私はブログで彼女のことをこう書いた。
映画『一命』で、もっとも印象に残ったのは、満島ひかりの演技。
これは本当に素晴らしかった。
『一命』を見る価値のあるものにしているのは、彼女の演技のみかもしれない。
これが私の正直な感想だった。
主人公・津雲半四郎役を演じた市川海老蔵には感心しなかった。
歌舞伎特有のこれみよがしの大袈裟な演技が目立ち、感情移入できなかった。
それにひきかえ、満島ひかりの演技は非の打ち所がなかった。
津雲美穂の哀しみがひしひしと伝わってきたし、
嘆きのシーンでは凄みさえ感じた。
あの演技の裏には、
原作者の文学碑を訪ねるといった地道な体験(この他にも知られざるエピソードがたくさんあるに違いない)の積み重ねにあるのだなと思った。
今夜(11月6日)、TVで、
満島ひかりが出演している映画『悪人』が、
地上波初放送されている。
昨年(2010年)の9月12日のブログで、私は次のように記した。
満島ひかり(石橋佳乃)
話題作『愛のむきだし』(2009年1月公開)で一躍有名になって以降、
『クヒオ大佐』(2009年10月公開)、
『食堂かたつむり』(2010年2月公開)、
『カケラ』(2010年4月公開)、
『川の底からこんにちは』(2010年5月公開)、
と、引っぱりだこの感がある満島ひかり。
裕福な大学生・増尾と付き合おうとする一方で、出会い系サイトにハマっていて、祐一や複数の男たちと売春まがいの行為をしている……という難しい役。
「私とはまったくタイプが違う」と感じつつも、その難役に果敢に挑戦。
「本当にこういう娘いそう……」と思わせるほどの好演。
ことに、三瀬峠で、笑いながら祐一を罵倒する場面は素晴らしい。
祐一に腕を掴まれ、絶叫するシーンは見応えあり。
今後の彼女の活躍が楽しみだ。
その後、彼女は順調にキャリアを積み、
今や押しも押されぬ実力派女優として名を馳せている。
これから西溪公園にある滝口康彦の文学碑を紹介する時は、
「かの満島ひかりも見に来たことのある……」
と頭に付けて自慢しようと思う。(笑)
命と思う文学と
恋といずれが重きやと
無二なる友の責むるとて
まどわず恋と答うべし
と色紙に書いていた故・滝口康彦も、
顔を赤らめながら喜んでいるに違いない。
金曜日の夜から長女と孫が遊びにきている。
雨の日もまた楽し……である。
佐賀新聞に、
「西村雄一郎のシネマトーク」
という、私の愛読しているコラムがある。
連載30年を超え、
新聞単独筆者連載の長期記録を更新中の名物コラムで、
最新の映画、
懐かしの映画、
様々な映画を論じ、
教えられることの多いコラムである。
西村雄一郎氏は、
佐賀市在住のノンフィクション作家、映画・音楽評論家。
1951年、佐賀市生まれ。
早稲田大学第一文学部演劇科を卒業後、『キネマ旬報』パリ駐在員。
帰国後、映像ディレクターとしてビデオCM、ビデオクリップを演出。
1985年から古湯映画祭(佐賀市富士町)の総合ディレクターを務め、
その功績により1990年に「佐賀新聞文化奨励賞」受賞。
2001年公開映画『いのちの海』で脚本を初執筆(石堂淑朗と共作)。
2003年にオープンした「映像ミュージアム」(埼玉県川口市)の総合監修を担当。
現在、佐賀大学で教鞭をとる。
著書に、
『映画に学ぶビデオ術』(ソニー・マガジンズ)
『黒澤明 音と映像』(立風書房)
『巨匠のメチエ・黒澤明とスタッフたち』(フィルムアート社)
『一人でもできる映画の撮り方』(洋泉社)
『シネマ・ミーツ・クラシック』(音楽之友社)
『映画でクラシック!』(新潮社)
他、多数。
この西村氏は、
佐賀県で毎年催されている「古湯映画祭」や「唐津焼の里映画祭」で、
ゲストの俳優や監督などを招いてのシンポジウムで司会をされている。
佐賀新聞の昨日(11月5日)のコラムで、
昨年の古湯映画祭における満島ひかりのエピソードを次のように紹介されていた。
昨年の9月、古湯映画祭に『悪人』(2010年)のゲストとして参加していた満島ひかりと宿が一緒だった。朝食の時、彼女は「滝口康彦さんの文学碑を見たい」と言う。これから博多駅で新幹線に乗り、京都に直行、そこで次回作の衣装合わせをするというのだ。その作品は、滝口原作の『異聞浪人記』の映画化だという。早速、映画祭の事務局に車の手配をさせ、文学碑のある多久市の西溪公園に回ってもらった。
なんと、あの満島ひかりが、
わが町の西溪公園にある滝口康彦の文学碑を見に来たというのだ。
滝口康彦の文学碑については、私のブログ(10月23日)で紹介したばかりだが、
まさかあの文学碑を見に、
忙しいスケジュールの合間を縫って、
満島ひかりがわが町を訪れていたとは……
驚くと同時に、大いに感心し、感動した。
映画『一命』の撮影に入る前に、原作を読み、
原作者である滝口康彦についても関心を持ったのであろうが、
知られざる時代小説作家の暮らした田舎の小さな町を訪ね、
文学碑に詣でるとは、すごい女優魂だと思った。
私はブログで彼女のことをこう書いた。
映画『一命』で、もっとも印象に残ったのは、満島ひかりの演技。
これは本当に素晴らしかった。
『一命』を見る価値のあるものにしているのは、彼女の演技のみかもしれない。
これが私の正直な感想だった。
主人公・津雲半四郎役を演じた市川海老蔵には感心しなかった。
歌舞伎特有のこれみよがしの大袈裟な演技が目立ち、感情移入できなかった。
それにひきかえ、満島ひかりの演技は非の打ち所がなかった。
津雲美穂の哀しみがひしひしと伝わってきたし、
嘆きのシーンでは凄みさえ感じた。
あの演技の裏には、
原作者の文学碑を訪ねるといった地道な体験(この他にも知られざるエピソードがたくさんあるに違いない)の積み重ねにあるのだなと思った。
今夜(11月6日)、TVで、
満島ひかりが出演している映画『悪人』が、
地上波初放送されている。
昨年(2010年)の9月12日のブログで、私は次のように記した。
満島ひかり(石橋佳乃)
話題作『愛のむきだし』(2009年1月公開)で一躍有名になって以降、
『クヒオ大佐』(2009年10月公開)、
『食堂かたつむり』(2010年2月公開)、
『カケラ』(2010年4月公開)、
『川の底からこんにちは』(2010年5月公開)、
と、引っぱりだこの感がある満島ひかり。
裕福な大学生・増尾と付き合おうとする一方で、出会い系サイトにハマっていて、祐一や複数の男たちと売春まがいの行為をしている……という難しい役。
「私とはまったくタイプが違う」と感じつつも、その難役に果敢に挑戦。
「本当にこういう娘いそう……」と思わせるほどの好演。
ことに、三瀬峠で、笑いながら祐一を罵倒する場面は素晴らしい。
祐一に腕を掴まれ、絶叫するシーンは見応えあり。
今後の彼女の活躍が楽しみだ。
その後、彼女は順調にキャリアを積み、
今や押しも押されぬ実力派女優として名を馳せている。
これから西溪公園にある滝口康彦の文学碑を紹介する時は、
「かの満島ひかりも見に来たことのある……」
と頭に付けて自慢しようと思う。(笑)
命と思う文学と
恋といずれが重きやと
無二なる友の責むるとて
まどわず恋と答うべし
と色紙に書いていた故・滝口康彦も、
顔を赤らめながら喜んでいるに違いない。