一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

平野啓一郎『マチネの終わりに』 ……たぶん貴女のために書かれた物語だと思う……

2017年01月15日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


遅ればせながら、平野啓一郎の小説『マチネの終わりに』を読んだ。

なぜ「遅ればせながら」なのか?
そう、本書は、昨年(2016年)、かなり評判になった小説だからだ。
本好きの人で、『マチネの終わりに』を知らない人はいないのではないだろうか?

本の帯に書いてあるキャッチコピーは、

「結婚した相手は、人生最愛の人ですか?」
「ただ愛する人と一緒にいたかった」
「なぜ別れなければならなかったのか」
「恋の仕方を忘れた大人に贈る恋愛小説」



この小説は、毎日新聞に連載されたものだが、
連載終了後、「マチネロス」が続出したという。

「過去の傷をそっと癒してもらえたような優しさを感じた」(30代・女性)
「最後は深く、大きな愛に包まれるような感動」(40代・男性)
「歳を忘れ、血を騒がせた。しばらくはマチネロスが続きそう」(80代・女性)
「人生の終わりに、いい作品に巡り逢えて幸せです」(90代・女性)



私は、平野啓一郎の良い読者ではなかった。
初期作品の、
『日蝕』(新潮社、1998年)
『一月物語』(新潮社、1999年)
を読み、私には合わない作家と断定し、
以降の作品はほとんど読んでいなかった。
「三島由紀夫の再来」という宣伝文句も、
三島由紀夫にそれほど興味のない私には、まったく響かなかった。
だから、
平野啓一郎の『マチネの終わりに』が評判になっていると知った時にも、
さほど読みたいとは思わなかった。
「マチネロス」が続出していると聞いても、
「ほんまかいな?」
と疑っていたほどだった。
では、なぜ読んでみようと思ったかといえば、
図書館の書棚で、偶然見かけたから……だ。
都会の図書館ならば、かなり順番待ちしなければ読めない本だが、
私の住む田舎の図書館では、そうではなかった。
私を待っていたかのように、そこにあった。
背表紙を見て、
〈評判になっている小説だったな〉
と思い、手に取った。
そして、その時初めて、
〈読んでみようか……〉
と思った。
後から考えてみるに、
その判断は間違っていなかった。
読み始めると同時に、
私は、この『マチネの終わりに』という小説世界に耽溺し、
小説を読む楽しみを存分に味わったからだ。



物語は、
クラシックギタリストの蒔野聡史(38歳)と、
海外の通信社に勤務する小峰洋子(40歳)の出逢いから始まる。
初めて出逢った時から、強く惹かれ合っていた二人。
しかし、洋子には婚約者がいた。
やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、
ついに二人の関係は途絶えてしまう。
互いへの愛を断ち切れぬまま、
別々の道を歩む蒔野と洋子。
はたして、二人の運命が再び交わる日はくるのか……



ストーリー紹介は、この程度で止めておこう。
なぜなら、皆さんにも、物語を存分に楽しんでもらいたいからだ。
それほどの満足を私に与えてくれたし、
皆さんにもその満足感を味わってほしいからだ。

以下は、
これから読む皆さんの邪魔にならない程度の私の読後感だ。

この『マチネの終わりに』は、
クラシックギタリストの蒔野聡史(38歳)と、
海外の通信社に勤務する小峰洋子(40歳)の、
5年半にわたる恋愛模様を描いた小説であるが、
中心的なテーマは恋愛ではあるものの、
音楽、映画、戦争、原爆、親子、人生、哲学など、
様々なテーマが複雑に絡み合い、
蒔野と洋子を取り巻く出来事と、
答えの出ない問いに、読者は翻弄される。
それでいて、頁をめくる手は止まらず、
常に「次を読みたい」という思いに苛まれる。
そんな小説なのだ。

ちなみに「マチネ」とは、
フランス語で、朝・午前のことで、
昼公演という意味で使われている。
(逆に「ソワレ」は、夜の公演という意味)

マチネの終わりの頃といえば、ちょうど昼下がり。
人生で言えば、40歳前後の頃と言えるだろう。
何かをするには早すぎて、
何かをするには遅すぎる、
人生の“惑い”の頃だ。
若い時であれば、突っ走ることもできたであろうが、
中年ともなれば、そうはいかない。

若い人間の心には、肉体との境界のあたりに、頗る可燃性の高い部分がある。ある時、何かの拍子にその一端に火がつくと、それが燎原の如く広がって、手が着けられなくなってしまう。その火に、相手の心のやはり燃えやすい部分が焼かれてしまうと、二人はただ、苦しさから逃れるためだけでも互いを求め合わなければならない。
恋がもし、そうしたものであるならば、土台、長続きするはずはなかった。その火は、どこかでもっと、穏やかに続く熱へと転じなければならない。(91頁)


若くはない二人ではあったが、
心に点火された炎は燃え盛り、
互いを求め合うようになる。
だが、様々な理由で、会うことができない。
それが中年の恋のもどかしさであり、奥深さである。
驚くべきことに、5年半の間に二人が会うのは、ほんの2~3回なのである。
にもかかわらず、二人の間には、濃密な時間が流れるのだ。
その描き方が、この小説の妙味といえるだろう。

平野啓一郎という作家の初期の作品は、
濃厚すぎるカルピスのような文章であったが、
新聞連載小説ということで、
それが絶妙な濃さに薄められ、
カルピスウォーターのような、程良い濃さの文章、文体になっている。
読みやすくはあるが、軽くはなく、格調があり、品がある。
神童と言われた平野啓一郎(1975年生まれ)も40歳を過ぎ、
このような小説をものするようになったのか……と(良い意味で)感慨深い。

音楽に造詣の深い平野啓一郎だし、
『マチネの終わりに』の主人公がギタリストということもあって、
この小説には、多くのクラシックやポップスの名曲が登場する。
だからか、物語の中にずっと音楽が流れているような心地よさがあった。
小説を読んでいる時にクラシック音楽を流していると、
時には読書の妨げになったりもするが、
この『マチネの終わりに』を読んでいる時にはそれがなかった。
むしろ読書の歓びが倍加され、すこぶる良かった。
この小説を読む時には、ぜひクラシックを聴きながら楽しんでもらいたい。

小説の中に登場する曲を聴きたいという要望が多かったようで、
小説『マチネの終わりに』と完全タイアップCDも発売されている。


【収録曲目】
第1章:出会いの長い夜~ 
1. ロドリーゴ:アランフェス協奏曲より II. アダージョ
2. レノン&マッカートニー(武満徹編):イエスタデイ
第3章:《ヴェニスに死す》症候群~
3. J.S.バッハ(福田進一編):無伴奏チェロ組曲第3番BWV1009より I. プレリュード第4章:再会~
4. F.ソル:幻想曲 Op54bis より II. アレグロ
第5章:洋子の決断~ 
5. バリオス:大聖堂
6. ヴィラ=ロボス:ガヴォット・ショーロ
7. アームストロング(鈴木大介編 ):この素晴らしき世界
8. 林そよか:幸福の硬貨
第8章:真相~
ピアソラ:タンゴ組曲より  
9. II. アンダンテ
10. III. アレグロ
第9章:マチネの終わりに~
ブローウェル:黒いデカメロンより 
11. I.戦士のハープ、
12. III.恋する乙女のバラード
13. ブローウェル:ギター・ソナタより“パスキーニによるトッカータ”
[ボーナストラック] 
14. 林そよか:幸福の硬貨 ~洋子に捧ぐ

【演奏】
福田進一(ギター)
飯森範親(指揮)ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団 (1)
オスカー・ギリア(ギター)(4)
エドゥアルド・フェルナンデス(ギター)(9,10)
【新録音】
2016年7月14日、Studio A-tone YOTSUYA(3,6,7,8,12,14)


コンサートも開催されたようで、
近くなら、ぜひ聴きに行きたかったところ。


この小説は、読後、何かを語りたくなる。
だが、多くを語ると、次の読者の妨げになるやもしれぬ。
だから、『マチネの終わりに』の中に散りばめられた多くのアフォリズムの中から、
最も重要なひとつを紹介して、このレビューを終えたいと思う。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?(29頁)


この「過去は変えられる」という言葉は、
物語の中に何度も登場し、重要なキーワードとなっている。
小説を読む際の“道標”として覚えておいてほしい。


図書館で順番待ちをすれば、読めるのはいつになるか分らない。
本の価格は、1700円(税別)。
映画1本分の価格だが、
間違いなく映画1本分以上の価値があるし、
再読、再々読にも堪えうる小説だ。
80代、90代の女性に、
「歳を忘れ、血を騒がせた。しばらくはマチネロスが続きそう」(80代・女性)
「人生の終わりに、いい作品に巡り逢えて幸せです」(90代・女性)
と言わしめる物語など、そんなにはない筈。
小説を読む楽しみを存分に味わえる『マチネの終わりに』。
たぶん貴女のために書かれた物語だと思う。
ぜひぜひ。

村冶佳織・アランフェス協奏曲 第2楽章(ア・コルーニャ)


※映画『マチネの終わりに』のレビューはコチラから。

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