一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

100分de名著「砂の女」安部公房 ……安部公房にサインをしてもらった日……

2022年06月13日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


前期高齢者になってから、
高校時代に読んで感動した本を、よく読み返すようになった。
今の若い作家の作品も読んではいるが、
昔の作家の作品に比べれば、やはり(かなり)劣る。
〈残り少ない私の時間は、優れた文学作品を読むことに費やしたい……〉
と思うようになったのだ。
そんな思いを抱くようになって、
よく観ている番組がある。
NHK Eテレの「100分de名著」だ。
青春時代に読んで感動した本を、
懐かしく読み返す機会にもなるし、
一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらったり、途中で挫折してしまった本に、再チャレンジするきっかけを与えてくれたりもするからだ。
番組では、(ちょっと難解な)古今東西の“名著”を、
25分×4回、つまり100分で読み解いていく。
その本の専門家や、その本に熱烈な思いを抱いているゲストを迎え、
アニメーション、イメージ映像、朗読など、
あの手この手の演出を駆使して、奥深い“名著”の世界に迫る。
案内役は、タレントの伊集院光と、安部みちこアナウンサー。


(2022年)6月で扱うのは、
戦後文学の最高傑作の一つとも称される安部公房の「砂の女」。


世界20数か国で翻訳、戯曲化や映画化も果たし、




今も国内外で数多くの作家や研究者、クリエイターたちが言及し続けるなど、
現代の私たちに「人間を縛る生の条件とは何か」「自由とは何か」を問い続けている傑作。
私も半世紀前の高校時代に初めて読み、
「これこそ文学!」と深く感動し、これまで何度も読み返してきた。
1962年(昭和37年)6月8日に新潮社より、
「純文学書下ろし特別作品」の一冊として刊行され、


その箱の表には、安部公房自身による「著者の言葉」が記され、

鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。飛砂におそわれ、埋もれていく、ある貧しい海辺の村にとらえられた一人の男が、村の女と、砂掻きの仕事から、いかにして脱出をなしえたか――色も、匂いもない、砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追求してみたのが、この作品である。砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味も分るまい。


箱の裏には、三島由紀夫による「推薦文」が記されている。

詩情とサスペンスに充ちた見事な導入部、再々の脱出のスリル、そして砂のように簡潔で無味乾燥な突然のオチ、……すべてが劇作家の才能と小説家の才能との、安部氏における幸福な結合を示している
日本の現実に対して風土的恐怖を与へたのは、全く作者のフィクションであり寓意であるが、その虚構は、綿々として尽きない異様な感覚の持続によって保証される。これは地上のどこかの異国の物語ではない。やはりわれわれが生きている他ならない日本の物語なのである。その用意は、一旦脱出して死の砂に陥った主人公を救ひに来る村人の、「白々しい、罪のないような話しっぷり」一つをとつても窺われる。一旦読み出したら止められないこと請合の小説。




この「砂の女」をきっかけに、安部公房の作品を次々と読破し、
安部公房は、私の最も敬愛する作家となった。


私は、実は、安部公房に一度だけ会ったことがあり、
その際、本にサインをしてもらった。
昭和50年代、私は東京にある某大学に通っていたのだが、
ある日、オーディオ店でバイトしている友人から連絡があり、
「安部公房」という人物がスピーカーを買いにきたというのだ。
その友人は、文学には興味がなく、小説も読まない人物であったが、
私の部屋の本棚に安部公房の本がたくさんあったことを憶えていて、
連絡してくれたのだった。
「今から配達に行くが、一緒に行くか?」
と訊いてきたので、
「行く、行く」
と即答したのだった。
安部公房という名の人物が何人もいるわけがないし、
きっと、作家の安部公房だと思ったからだ。
私は、その友人と合流し、友人の運転する軽トラックの助手席に座り、
調布市にある安部公房の住まいに向かった。
途中、ふと、「サインをしてくれるかもしれない」と思い、
書店に立ち寄り、本を買い求めた。
本当は「砂の女」が良かったのだが、その書店には在庫がなく、
仕方なく(でもないけれど)「榎本武揚」を買った。


実際に会った安部公房は、
はたして(本物の)作家・安部公房であった。
当時、私はオーディオのセッティングも得意だったので、
スピーカーのセッティングもするつもりでいたのだが、
「自分でできるから」と安部公房が言ったので、
スピーカーを届けるだけになってしまった。
恐る恐る本を差し出し、
「サインをお願いできますか?」
と訊くと。
「ああ、いいよ」と、
魅力的なバリトン・ボイスで答え、
嬉しそうに本を眺め、
サインをしてくれたのだった。
この本は今でも大事にしているし、私の宝物である。


配達時の配送伝票も本に挟んで保存しているのだが、
本人が書いた名前や住所と共に、


伝票の裏には、本人が書いた地図もあった。
今となっては、貴重な資料であるかもしれない。



番組「100分de名著」では、
安部公房(1924年~1993年)の人となりにも触れながら、
代表作「砂の女」に安部公房が込めたものを紐解いていく。

ゲスト講師は、ヤマザキマリ。


漫画家・エッセイスト。1967年生まれ。17歳のときに渡伊、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。エジプト、シリア、ポルトガル、米国を経て各地で活動したのち、現在はイタリアと日本を拠点に置く。1997年より漫画家として活動開始、2010年、『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。ほかの主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』(講談社)、『プリニウス』(とり・みきとの共作、新潮社)など。エッセイに『ヴィオラ母さん――私を育てた破天荒な母・リョウコ』(文藝春秋)のほか、『国境のない生き方――私をつくった本と旅』(小学館新書)、『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)など多数。2022年5月、安部公房の作品論『壁とともに生きる――わたしと「安部公房」』(NHK出版新書)を刊行。2015年度芸術選奨新人賞受賞、2019年、日本の漫画家として初めてイタリア共和国星勲章・コメンダトーレを受章。東京造形大学客員教授。

6月6日(月)に第1回を観たが、
ヤマザキマリによると、
この小説には、過酷な現実から逃れようともがく主人公の模索を通して、絶えず自由を求めながらも不自由さに陥ってしまう私たち人間の問題が描かれているという。
それだけではなく、安部が戦後社会の中で苦渋をもって見つめざるを得なかった「自由という言葉のまやかし」が、「砂の女」という作品に照らし出されるようにみえてくるとか。
この作品は、私たちにとって「本当の自由とは何か」を深く見つめるための大きなヒントを与えてくれるし、パンデミックによって、移動や交流の自由が著しく制限されている私たち現代人にも示唆することが多いと解説する。

朗読は、俳優の町田啓太で、
重要な箇所と思われる文章を、語りかけるように優しく朗読する。


第1回を観ただけだが、
良い内容だったと思うし、
第2回、第3回、第4回が楽しみになってきた。

第1回を見逃した方は、
再放送が今日(2022年6月13日 午後1時5分~1時30分/Eテレ)あるので、ぜひ。


【各回の放送内容】
※放送時間は変更される場合があります


第1回 「定着」と「流動」のはざまで
【放送時間】
2022年6月6日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2022年6月7日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年6月13日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ


「砂の女」の舞台は海岸に近い砂丘の中に埋もれかかった一軒家。休暇を利用して新種のハンミョウを採取すべく昆虫採集に出かけた学校教師・仁木順平は、女が一人で住むこの家に一夜の宿を借りることに。そこで繰り返されるのはひたすら砂を掻き出す単純労働。常に流動し定着を拒む「自由の象徴」と仁木が思い描いていた「砂」は、この場所では人間の自由を阻む壁として立ちはだかっていた。

第1回では、安部公房の人となり、「砂の女」の執筆背景などにも言及しながら、安部公房が描こうとした、人間がもたざるを得ない限りない自由への憧れと、それを阻害するものとの葛藤について考える。


第2回 揺らぐアイデンティティー
【放送時間】
2022年6月13日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2022年6月14日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年6月20日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ


女の家で一夜を過ごした仁木は、翌朝、外界へ出るための縄梯子が取り外されているのに気づき驚愕する。彼は、村人たちによって砂を掻き出す作業員として幽閉されたのだ。彼は女に「外へ出て自由になる気はないのか」と問うが、女は超然とその気がないことを示すのみで、まるで自ら自由を手放しているかのよう。女の態度に苛立ちつつ、仁木は脱出や抵抗を試みるが、ことごとく挫折。あげくに自分が忌避していたはずの戸籍や所属証明を楯に女や村人たちを恫喝するのだった。

第2回は、「砂の女」という作品に象徴的に描かれた「アイデンティティ―の揺らぎ」を読み解き、自由へのあくなき拘泥が逆に人間を束縛するという逆説について考える。


第3回 人が「順応」を受け入れるとき
【放送時間】
2022年6月20日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2022年6月21日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年6月27日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ


仁木の三度目の脱走は成功したかに見えたが村人たちに捕縛される。手ひどいダメージを受けた彼は、徐々にその環境に順応し始める。やがて、日々繰り返される砂との闘いや日課となった手仕事に対してささやかな充実感を覚えるまでに。仁木は、最初は拒絶していた砂丘の村を、生きていくために受け容れようとする。そこにはどんな心境の変化があったのか。

第3回は、過酷な環境に順応していく仁木の姿を通して、「何かに帰属しなければ生きていけない人間の性」について考える。


第4回 「自由」のまやかしを見破れ!
【放送時間】
2022年6月27日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2022年6月28日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2022年7月4日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

もはや外界に出ることを諦めたかにみえる仁木は、ある作業の虜になる。鴉をつかまえるための罠づくりだ。だが、その仕掛けは、全く予想もしない機能をもつに至る。常に水が不足する穴の底にあって蒸留水を溜める装置として使えることがわかったのだ。そんな折、女が子宮外妊娠していることが発覚、緊急入院のため女は外へ運び出されることに。どさくさの中で縄梯子はかけられたまま放置された。逃亡する最大のチャンスだったが、仁木は外へ出ようとはしなかった。果たして仁木の選択の意味とは何だったのか? そして完全に現実社会から失踪した仁木は、果たして「自由」を得たといえるのか?

第4回は、仁木の創造行為や最後の選択の意味を問うことを通して、私たちにとっての「自由」の意味をあらためて考察する。


テキストも発売されており、
より深く勉強するために購入した。


ヤマザキマリ著『壁とともに生きる わたしと「安部公房」』(NHK出版新書)
も出版されたので、ついでにこちらも購入。


今回は、(第1回の再放送と第2回の放送が今日なので)番組告知だけにとどまったが、
近いうちに、安部公房や「砂の女」について詳しく書いてみたいと思う。

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