本作『きさらぎ駅』(2022年6月3日公開)を見たいと思った理由は、二つ。
①恒松祐里の映画初主演作であるから。
②本田望結が出演しているから。
恒松祐里を将来性のある女優としっかり認知したのは、
黒沢清監督作品『散歩する侵略者』(2017年)においてだった。
そのレビューで、私は、次のように記している。
地球人・立花あきらに乗り移った宇宙人を演じた恒松祐里。
彼女も、
『くちびるに歌を』(2015年2月28日公開)
『ハルチカ』(2017年3月4日公開)
『サクラダリセット 前篇・後篇』(2017年3月25日・5月13日公開)
など、青春モノ、学園モノの映画によく出演しており、
高杉真宙と同じく「胸キュンスカッと」の常連でもある。
その清純で爽やかな印象の彼女もまた、
そうであるが故に、その残虐ぶりが際立ち、素晴らしかった。
恒松祐里も、大いに将来を期待できる女優だと思った。
その後、
『凪待ち』(2019年)
『いちごの唄』(2019年)
『アイネクライネナハトムジーク』(2019年)
『殺さない彼と死なない彼女』(2019年)
『スパイの妻〈劇場版〉』(2020年)
などの出演作を見続けて、レビューも書いてきた。
前作『タイトル、拒絶』(2020年)のレビューでは、
マヒルを演じた恒松祐里。
本作『タイトル、拒絶』では、
〈むしろ、恒松祐里が主役ではないか……〉
と思わせるほどの存在感を示し、
暗い過去を背負った若き美しい女性を繊細な演技で表現し、見事であった。
と絶賛したのだが、
考えてみるに、恒松祐里には、(不思議なことに)まだ主演作はなかった。
そうであるが故に、「恒松祐里の映画初主演作が決まった」と聞いたときには喜んだし、
大いに期待した。
だが、
恒松祐里の記念すべき映画初主演作が、
ホラー映画『きさらぎ駅』(永江二朗監督)と知ったとき、
正直、
〈えっ?〉
と思った。
私自身、ホラー映画には偏見があり、(コラコラ)
あまり好きではないし、ほとんど見ないからだ。
それに、記念すべき恒松祐里の映画初主演作は、(永江二朗監督には失礼ながら)
〈黒沢清、白石和彌、今泉力哉など、実績のある監督作品であってほしかった……〉
という部分もあった。
なので、恒松祐里の初主演作ではなかったら、
本作『きさらぎ駅』は(たぶん)見なかった作品である。
本田望結は、
現在、青森山田高等学校に在学中でありながら、
女優はもちろんのこと、
モデル、
声優、
歌手、
フィギュアスケーター、
YouTuberなど、
なんでもできるマルチタレントとして活躍しており、
個人的に注目しており、応援もしている。
「この道ひとすじ」人間よりも、「なんでもできる」人間の方が好きなことは、
このブログで何度も言っていることであるが、
日本は、「この道ひとすじ」人間を尊重し、
「なんでもできる」人間を「器用貧乏」などと言って蔑む傾向にある。
私は、「なんでもできる」ことが、いかに難しいかを知っているし、
そういう人を応援したいと思っている。
今は、まだ高校生であり、学業やフィギュアスケートに力を入れていることもあって、
女優としての活躍は少ないし、映画出演も少ない。
故に、スクリーンで彼女を見ることのできる機会は逃したくないし、
絶対に「見たい」と思った。
恒松祐里、本田望結の他には、
最近、活躍が顕著な若手女優・莉子や、
グラビアアイドル出身ながら実力派俳優として存在感を示している佐藤江梨子など、
私好みの女優も出演している。
で、ワクワク、(ホラー映画なので)ドキドキしながら、
映画館へ駆けつけたのだった。
2004年、
「はすみ」と名乗る女性が、
この世に存在しない「きさらぎ駅」にたどり着いた体験を、
ネット掲示板にリアルタイムで投稿していたが、
突然書き込みが止まったことで様々な憶測を呼び、
現代版「神隠し」として話題となった。
それから十数年後。
大学で民俗学を学んでいる堤春奈(恒松祐里)は、「きさらぎ駅」を卒業論文の題材に選ぶ。
投稿者「はすみ」の正体が葉山純子という女性だと突き止めた春奈は、
数ヶ月にわたる調査の末に、ようやく彼女と連絡を取ることに成功する。
指定された場所は、「きさらぎ駅」の舞台となった線路にある一軒家。
春奈を出迎えた純子(佐藤江梨子)は、どこか影のある雰囲気を持つ女性。
部屋へ案内され、早速、ネットで噂される「はすみ」本人との真偽を確かめる春奈に対して、
純子はどこか謎めいた笑いを浮かべながらも、春奈の問い掛けに静かに頷く。
続けて、純子から、「きさらぎ駅」へたどり着いた経緯、その後の出来事などを聞くが、
その内容は、春奈には到底信じられるものではなかった。
しかし、その純子の話の中で、
なぜ純子だけが「きさらぎ駅」へたどり着くことができたのか……そのヒントに気づく。
純子と別れた春奈は、自然に「きさらぎ駅」の舞台となった遠州鉄道の駅へ向かうのだが、
この選択が、春奈の運命を大きく狂わせることになっていく……
インターネット掲示板「2ちゃんねる」の都市伝説をもとにした映画ということであったが、
そういう都市伝説があることも知らなかったし、
ほとんど予備知識なしで鑑賞したのだが、
私がホラー映画に対して(勝手に)抱いているイメージ、
残虐な殺害シーン満載、内臓がドバドバ飛び出す……というようなことはなく、(笑)
目を背けたくなるようなシーンは皆無で、82分間、楽しく見ることができた。
CGはチープであるし、エフェクト(音響効果)も「いかにも」感が否めず、
低予算映画(であるかどうかは知らないが)らしい、B級感あふれる映画であるのだが、
これは永江二朗監督が意識して、あえてやっているのだと思った。
前半は、葉山純子(佐藤江梨子)の体験談を、
FPS(ファーストパーソン・シューター:一人称視点)の映像で描き、
後半は、純子の体験を堤春奈(恒松祐里)が追体験するのだが、
前半と後半の対比、手作り感的な面白さ、それにゾンビのようなものも登場するところなど、
『カメラを止めるな!』(2018年)を彷彿させ、
永江二朗監督の狙いも「その辺り」にあったのだろう……と思わせた。
主人公の大学生・堤春奈を演じた恒松祐里。
永江二朗監督が描く「異界」描写はカラーグレーディングされているのだが、
そのことによって、背景よりも恒松祐里の美しさが際立ち、より魅せられた。
主演でありながら、前半の「異界」のシーンではほとんど出番がなく、
それだけがちょっと物足りなかったが、
中盤から終盤にかけては恒松祐里の独壇場で、
主演作であることを見る者に強く印象づけた。
子どもの頃からやらせて頂いているので、やる時はちゃんとやる、しっかりしている方かなとは思うんですが、主演という立場になるとまだまだなんです。観客をひっぱる主演という立場でありながら、役の人物像を作っていけばいいのか、何が正解なのか、主演としての立ち位置がいまだによくわからないんです。これからも主演という立場で何かの作品をやらせて頂ける機会があるなら、その中で主演としてのあり方、色の付け方を覚えていきたいと思っています。
と、某インタビューで語っていたが、
これから主演作が多くなっていくことを予感させる演技であったし、
代表作となる主演作も、そう遠くない所にあるように感じた。
純子が(それに春奈も)きさらぎ駅で出会う女子高生・宮崎明日香を演じた本田望結。
2004年6月1日生まれなので、新成人となる18歳。(2022年6月12日現在)
子役時代の演技はよく見ていたが、
大人になってからの演技は、あまり見ていなかったので、新鮮であった。
背も高くなり、164cm。
可愛いというより、美しい女性になっていて、驚かされた。
初のホラー映画出演。初の女子高生役。初共演の皆様と準備原稿を読んだ時からハラハラドキドキ。カット割のないほぼ一連撮りの撮影で恐怖とカメラワークとの戦いの中、一発OKに全神経を集中し現実か演技かわからないような混乱状態の中での撮影体験となりました。
撮影を終えた今振り返っても遠い昔の擬似体験と錯覚するような深い思い出に残る作品となりました。人の心の真髄。究極に追い込まれた時の人の生き様。洗いざらいの素の姿。人の裏の顔を覗きに来てください。
とコメントしていたが、
〈そ~か、18歳にして初の女子高生役か~〉
と感慨深かった。
一見、華やかそうな女の子に見えるが、
キラキラ青春映画に出ることもなく、
いろんなことに地道に(そして地味に)取り組んできたことが、
本作の演技にも表れていたし、
これからも好い女優に成長していくであろうことが判る演技であった。
恒松祐里にも言えることであるが、
いつの日か、格調高い文芸作品のような映画に出てもらいたいと思った。
その他、
純子(それに春奈も)がきさらぎ駅で出会うギャル・松井美紀を演じた莉子、
きさらぎ駅へ行ったとされる噂の女性・葉山純子を演じた佐藤江梨子、
純子(それに春奈も)がきさらぎ駅で出会うサラリーマン・花村貴史を演じた芹澤興人が、
確かな演技で本作を支えていた。
本作でも、エンドロールのときに席を立つ人を見かけたが、
本作も「案の定」というべきか、エンドロールの後にワンシーンが加えられている。
この物語がループしていくような重要なワンシーンなので、
最後の最後まで絶対に席を立たないように……ね。
「鑑賞する映画は出演している女優で決める」主義の私であるが、
この鑑賞法で失敗したことはあまりない。
好きな女優をスクリーンで見ることのできる歓びが大きいこともあるが、
私の好きな女優が出演を選んだ(望んだ)作品なので、
それほどハズレがないのだ。
本作のように、好まないジャンルの映画を見る機会を与えられることもあるし、
新たな楽しみや喜びを知ることに繋がったりもする。
そして、年末になって振り返ると、
その年に上映された重要な作品は、ほとんど見ていることになる。
ただ「好きな女優が出演する映画」を見ているだけなのだが、
本当に、不思議なことだ。
今後も、
「鑑賞する映画は出演している女優で決める」主義で映画を、
そして、人生も楽しんでいきたい。