映画が好きな人で、『ローマの休日』を知らない人はいないだろう。
アメリカでは1953年8月27日に公開されたが、
日本では1954年4月27日(東京地区)に公開されている(ということになっている)。
しかし、正確には、それより6日早い1954年4月21日に、
長崎県佐世保市の「佐世保富士映画劇場」で先行公開されている。
理由は不明だが、佐世保には米軍が駐留していたので、その関係からかもしれない。
私は、現在、佐賀県に在住しているが、
生まれは長崎県佐世保市なので、
実は『ローマの休日』をリアルタイムで見ている……
というのは嘘で、
佐世保での公開時の1954年4月21日に私はまだ生まれていなかった。
ちょっと残念。(笑)
この『ローマの休日』は恋愛映画の不朽の名作として世界中で愛されているが、
誰がこの物語を思いつき、脚本を書いたのか、
そのことを知る人は、かつてはほとんどいなかった。
なぜなら、『ローマの休日』の真の作者ダルトン・トランボの名は、
本編にクレジットされていなかったから。
彼は、いわれなき汚名を着せられてハリウッドから追放され、
栄あるアカデミー賞のオスカー像を受け取ることもできなったのだ。
“いわれなき汚名”とは、
冷戦の影響による赤狩りの標的となり、
下院非米活動委員会への協力を拒んだために投獄されたのだ。
“赤狩り”とは、
ソ連との冷戦時代、政府が共産主義者とその同調者を取り締まった運動のことで、
中心的な役割を担った下院非米活動委員会(HUAC)は、
疑いの目を向けたハリウッドの映画人を公聴会に召喚し、詰問した。
最初の標的となり、証言を拒否して議会侮辱罪に問われた10人は、
ハリウッド・テンと呼ばれ、そのうち最も有名なのが、
本作の主人公ダルトン・トランボなのである。
釈放された後も、ハリウッドでの居場所を失ったトランボは、偽名を使用して、
『ローマの休日』『黒い牡牛』『スパルタカス』『ジョニーは戦場へ行った』『パピヨン』などを世に送り出し、アカデミー賞を2度も受賞する。
逆境に立たされながらも信念を持って生きたトランボの、
映画への熱い思いと、
そんな彼を支え続けた家族や映画関係者らの真実を描き出したのが、
本作『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』なのである。
ダルトン・トランボのことは、私はかなり以前から知っていた。
それは、小説『ジョニーは戦場へ行った』の作者としてだったのだが、
その解説か何かで、映画『ローマの休日』の脚本を書いていたことも知った。
このことに関して、最近、面白い記事を見かけた。
それは、『キネマ旬報』(2016年8月上旬号)の、
「トランボ、偉大なる職人」という鼎談(川本三郎、江戸木純、渡部幻)でなのだが、
そこで、私の敬愛する川本三郎氏が、次のように語っている。
71年の「ジョニーは戦場へ行った」くらいまでは、とくに赤狩りに関心を持つ人くらいしか、あまり意識されていなかったと思います。「ローマの休日」の脚本が実はトランボだったということを日本で最初に書いたのは、たぶん私で、それを読んだ白井佳夫さんが拙書への書評で「初めて知った」と書いてくれたことを覚えています。それくらい知られてなかったんです。
小説『ジョニーは戦場へ行った』は1939年に書かれているが、
映画は、トランボ自ら脚本化し、監督も務め、1971年に公開された。
映画化にともなって日本でも小説が翻訳刊行されたが、
(本は、ダルトンではなく、ドルトンと表記してある)
映画にも小説にも感動した私の心に、
ダルトン・トランボの名は強く刻まれたのだった。
先程紹介した鼎談で、川本三郎氏は、次のようにも語っている。
自分自身がああいう事件を起こしたこともあって(編集部注:赤衛軍事件に巻き込まれ、71年、朝日新聞を免職される)、ハリウッドの赤狩りもそうですし、日本における東宝争議や大映のレッドパージなどの事件に、非常に興味を持っていました。私はエドワード・ドミトリクが好きで、十代の頃に次々に新作を観て、感動していたものですから、その彼が赤狩りの裏切り者あと知ったときには、物凄いショックを受けました。エリア・カザンにしても、いまは非米活動委員会に共産党員の名前を売った裏切り者とされていますが、当時は非常に評価が高い監督だったわけですから、そこで、片方に裏切り者と呼ばれたドミトリクやカザンを、対極に、闘って勝利したトランボを置くことによって、赤狩りの全容が見えてくるのではないかと考えるようになりました。そして80年くらいにニューヨークに行ったときにたまたま「これだ」と手に入れたのが、「トランボ」の原作のブルース・クックの本だったんです。
ダルトン・トランボの伝記『TRUMBO』は1977年に刊行されている。
川本三郎氏が、40年近く前にニューヨークで手に入れた本を原作として、
映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』が制作されたわけだが、
日本での映画公開(7月22日)にあわせて、
翻訳本『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(ブルース・クック 世界文化社)も、
手嶋由美子訳で7月15日に刊行された。
この原作本も私は読んでいるが、
映画は、原作本には書かれていないことも付け加えて、
脚本家ジョン・マクナマラが、より解り易く、面白く、脚色している。
【ストーリー】
第二次世界大戦後、
共産主義排斥活動“赤狩り”が猛威を振るうアメリカ。
その理不尽な弾圧はハリウッドにも飛び火し、
売れっ子脚本家ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)は、
議会での証言拒否を理由に投獄されてしまう。
やがて出所し、最愛の家族の元に戻ったものの、
すでにハリウッドでのキャリアを絶たれた彼には仕事がなかった。
しかし、友人にこっそり脚本を託した「ローマの休日」に続き、
偽名で書いた別の作品でもアカデミー賞に輝いたトランボは、
再起への歩みを力強く踏み出す……
映画を見た感想はというと、
私が映画ファンだということもあるかもしれないが、
そして、私がちょっと古い人間だということもあるかもしれないが、
とても感動したし、
今年(2016年)、私がこれまで見た洋画の中では、ナンバーワンの作品だと思った。
派手な演出があるわけでもないし、
驚くようなストーリー展開が待ち構えているというわけでもない。
きわめてオーソドックスな手法の映画なのだが、
ダルトン・トランボの人間的魅力が強烈で、
素材の良さが際立っており、
ダルトン・トランボを演じたブライアン・クランストンの好演もあって、
見る者はグイグイと映画の中に引き込まれ、
心を揺さぶられる。
あれだけの迫害を受けながら、
トランボは誰も恨もうとはしない。
「赤狩りには被害者がいただけだ」と言い、
誰のことも批判せず、黙々と作品(脚本)だけを書き続ける。
もちろん、表立ってはできないから、
偽名で、しかもB級映画までも手掛ける。
赤狩りと闘う仲間から、
「こんなB級映画の脚本をやるより、裁判で闘争するべきだ」
と言われるが、
「俺は、裁判なんかに時間を取られたくない。脚本を書き続けることで闘うんだ」
と言い放つ。
そして、書いて、書いて、書きまくる。
寝る間も惜しんで書きまくる。
それは、家族との軋轢を生むが、
妻・クレオ(ダイアン・レイン)や、
長女・ニコラ(エル・ファニング)の理解と協力もあり、
現状を打破していく。
トランボにとどまらず、
ハリウッド・テンと呼ばれた脚本家たちが、
偽名で書いた作品が次々と賞を受賞し、
ブラックリストを有名無実のものにしていく過程が素晴らしい。
トランボを演じたブライアン・クランストンはもちろんだが、
トランボの妻・クレオを演じたダイアン・レインも素晴らしかった。
ダイアン・レインといえば、私の世代は、
彼女が十代半ばで出演したデビュー作『リトル・ロマンス』(1979年)を思い出す。
その後は女優として低迷するが、
2000年に入ったあたりから再び注目されるようになり、
『運命の女』(2002年)で、
全米映画批評家協会賞主演女優賞、
ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞を受賞する他、
第75回アカデミー賞主演女優賞やゴールデングローブ賞の候補になった。
ブライアン・クランストンの“動”の演技に対し、
ダイアン・レインは“静”の演技で魅了する。
彼女の深みのある演技が、
単なるトランボの伝記物というものに終わらせずに、
家族劇としても見る者を感動させる。
長女・ニコラを演じたエル・ファニングも素晴らしかった。
ブログ「一日の王」を昔から読んで頂いている方はご存じだと思うが、
私は、エル・ファニングの大ファン。
この映画を見に行った大きな理由のひとつは、彼女が出演していたからなのだが、
十代半ばの少女から、
大人の女性までを魅力的に演じて、
傑作たる本作に貢献していた。
その他では、
ブラックリスト時代のトランボに仕事を提供した、
B級映画専門のプロデューサー、フランク・キングを演じたジョン・グッドマンが良かった。
金儲けしか考えていないようで、情に厚く、
結果的にトランボの苦境を救うという役だったのだが、
「トランボに仕事を回すな」
と脅しに来た非米活動委員会の人物を追い払うシーンには、
思わず喝采した。
敵役ながら、コラムニストのヘッダ・ホッパーを演じたヘレン・ミレンも素晴らしかった。
あの時代のスターのゴシップは、彼女の筆の匙加減ひとつと言われていたそうで、
原作にはそれほど触れられていなかった彼女を、実名で、
しかも重要な役で登場させたのは、脚色を担当したジョン・マクナマラの手柄であるし、
その役を、実に巧く、実に憎たらしく演じたヘレン・ミレンは、
トランボをより魅力的に引き立てた功労者と言えるだろう。
ジョン・ウェインをはじめとして、
あなたの知っているハリウッド俳優が、
悪役として出てくることに、
ファンであるあなたは、少なからずショックを受けるかもしれない。
でも、それも映画の歴史の一部なのである。
赤狩りという時代は、人々を分断し、ハリウッド映画人に、
「転向するか」
「密告者になるか」
「刑務所に行くか」
を選択させた苛酷な踏み絵の時代であったのだ。
だからこそ、ダルトン・トランボの生き方が輝きを放つのである。
エンドロールの途中で、
トランボ本人の映像が映し出される。
そこで語られる言葉に、私は涙した。
だから、場内が明るくなっても、私はしばらく動けなかった。
すべての鑑賞者が場内から出た後、
涙にぬれた顔を見られないように、最後に席を立ったのだった。