一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第9回「増毛」 ……名作映画のロケ地で……

2012年04月10日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
前回の留萌からなかなか先へ進めない。(笑)
すみません。
久しぶりに、「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を更新。

留萌から海沿いに南へしばらく歩いた所に、増毛という町がある。
ここは、名作映画『駅STATION』の主要ロケ地となった町。
だから、私は、ここを訪れるのを楽しみにしていた。

高倉健主演の『駅STATION』という映画を憶えておられるだろうか?
公開されたのは1981年(昭和56年)。
私がまだ東京の小さな編集プロダクションで編集記者をしていた頃で、
仕事帰りに映画館でこの映画を見て、とても感動したのをはっきり記憶している。


オリンピックの射撃選手でもある刑事(高倉健)と、
3人の女性、
直子(いしだあゆみ)
すず子(烏丸せつこ)
桐子(倍賞千恵子)
との宿命的出会いと別れを3部構成で描いた人間ドラマ。
共演陣も豪華で、他に、大滝秀治、古手川祐子、小松政夫、根津甚八、宇崎竜童、室田日出男などが出ていた。
脚本は、倉本聰。
監督は、降旗康男。
当時、もっとも輝いていたスタッフによって制作された名作だ。

【1967年1月 直子】
その日、警察官の英次(高倉健)は雪の降り続く銭函駅ホームで、妻の直子(いしだあゆみ)と、四歳になる息子義高に別れを告げた。
離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていた。


苛酷な仕事と、オリンピックの射撃選手に選ばれ合宿生活が続いていたことも原因であった。
その頃、英次の上司、相馬が連続警察官射殺犯“指名22号”に射殺された。
中川警視の「お前には日本人全ての期待がかかっている」との言葉に、犯人を追跡したい英次の願いは聞き入れられなかった。
テレビが東京オリンピック三位の円谷幸吉の自殺を報じていた。
「これ以上走れない……」英次にその気持が痛いほどわかった。

【1976年6月 すず子】
英次の妹、冬子(古手川祐子)が、愛する義二(小松政夫)とではなく、伯父の勧めた見合の相手と結婚した。
英次は、妹の心にとまどいを覚え、義二は結婚式の夜に荒れた。
その頃、英次はオリンピック強化コーチのかたわら、赤いミニスカートの女だけを狙う通り魔を追っていた。
増毛駅前の風侍食堂につとめる吉松すず子(烏丸せつこ)の兄、五郎(根津甚八)が犯人として浮かんだ。
すず子を尾行する英次のもとへ、コーチ解任の知らせが届いた。
スパルタ訓練に耐えられなくなった選手たちの造反によるものだ。
すず子はチンピラの雪夫(宇崎竜童)の子を堕すが、彼を好きだった。
しかし、雪夫にとって、すず子は欲望のハケロでしかなく、英次が警察官と知ると協力を申し出た。
雪夫は結婚を口実にすず子を口説いた。
すず子は、刑事たちの張り込みに気づいていながらも、愛する雪夫を兄に会わせたく、隠れている町へ案内した。
そして、英次の前に吉松が現れたとき、すず子の悲鳴がこだました。

【1979年12月 桐子】
英次のもとに旭川刑務所の吉松五郎から、刑の執行を知らせる手紙が届いた。
四年の間、差し入れを続けていた英次への感謝の手紙でもあった。
英次は故郷の雄冬に帰ろうと、連絡船の出る増毛駅に降りた。
風待食堂では相変らず、すず子が働いていた。
雪夫は結婚したらしく、妻と子を連れてすず子の前を通り過ぎて行く。
舟の欠航で所在無い英次は、赤提灯「桐子」に入った。
女手一つで切り盛りする桐子(倍賞千恵子)の店だが、三十日なのに客も来ない。
テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れている。


「この唄好きなのよ」と桐子は咳いた。
自分と同じく孤独の影を背負う桐子に、いつしか惹かれる英次。
大晦日、二人は留萌で映画を観た。
肩を寄せ合って歩く二人が結ばれるのに時間はかからなかった。
英次は、初詣の道陰で桐子を見つめる一人の男(室田日出男)に気づく。
英次が雄冬に帰りついたのは、元旦も終ろうとしている頃だ。
そこで、十三年ぶりに電話をかけて直子の声を聞いた。
池袋のバーでホステスをしているという。
雄冬の帰り、桐子は、札幌へ帰る英次を見送りに来ていた。
その時、“指名22号”のタレ込みがあり、英次は増毛に戻った。
手配写真と、桐子を見つめていた男の顔が英次の頭の中でダブル。
桐子のアパートで22号は、英次の拳銃で撃ち殺された。
警察に通報しながら22号をかくまっていた桐子。
札幌に戻る前、英次は桐子を訪ねた。
英次に背を向け「舟唄」を聞き入る彼女の顔に涙が流れている。
英次は気づかない。
英次は札幌行きの列車に乗った。

(ストーリーはgoo映画より引用し構成)

17年前に私が訪れた時、増毛駅はひっそりしていた。


増毛駅は終着駅なので、線路はここで終わっている。
思ったよりも小さな駅であった。


この増毛駅前は、映画に何度も登場した。
私の背後に写っている赤い屋根の店(多田商店)が、
吉松すず子(烏丸せつこ)が働いていた風侍食堂として撮影された。
(ちなみに、隣の旅館富田屋は、映画『魚影の群れ』の舞台になっている)


私は、編集記者時代に、一度だけだが、烏丸せつこを取材したことがある。
1979年に6代目(1980年度)クラリオンガールに選出され、芸能界デビュー。
日本人離れした抜群のプロポーションで、当時のグラビアを席捲。
雑誌やTVで彼女を見ない日はないと言っていいほど活躍していた。
グラビアアイドルから女優へ。
『海潮音』 (1980年、ATG)
『四季・奈津子』 (1980年、東映)
『マノン』 (1981年、東宝)
『駅 STATION 』(1981年、東宝)
と、話題作に続けざまに出演している頃だった。
日本アカデミー賞助演女優賞を受賞することになる『駅 STATION 』の公開直後だったということもあって、取材は自然と映画の話になった。
輝いている今風の女の役ではなく、
『駅 STATION 』では、
頭のちょっと弱い(という設定の)、
婦女暴行殺人犯の妹の役だったので、
「ちょっとビックリした」
と私が話すと、
「そうやって、見る人の期待を、好い意味でちょっとずつ裏切っていきたい」
と語ったのが、今でも鮮明に思い出される。


増毛駅周辺を歩き、
高倉健や倍賞千恵子や烏丸せつこがここにいたんだな~と感慨にふける。
素晴らしいひとときであった。


増毛港の海沿いを歩いていると、スケッチをしているおじさんと出会った。
しばし談笑。
定年後、旅をしながら、絵を描いているとのことで、
温和な感じの紳士であった。
こういう人生もいいな~と思った。

この記事についてブログを書く
« 登吾留山 ……ホソバナコバイモ... | トップ | 自宅から登る鬼ノ鼻山 ……カス... »